野村監督が亡くなりました。 その4 No.405
記事投稿日時:2020年03月29日日曜日
投稿者:司法書士川崎恭也事務所 カテゴリー: General
秘伝を発表する前に、「あずさ」というチームのことを話します。実を言いますと我がチーム鎌田フレンドは「あずさ」が一軍で、我がチームは二軍のチームになります。だから同じ町内の顔ぶれなのにへんだなと思っていましたところ、人数が多いと試合に出れない人が集まって作られたチームが鎌田フレンドなのです。つまり完全に二軍のチームですよ。しかしトヨタに仕事に来る人の中にはピッチャーでいい選手がいるのですよ。それをまた連れてくる我がチームの選手がいましてピッチャーで抑えれば勝てることもあるのですよ。そうです、鎌田フレンドも2回も公式戦で「あずさ」チームに勝っているのです。あの廃業した先生には負け戦ばっかりですが、ここでは勝っているのです。その2回も勝っているのに貢献しているのが私だったのです。一回目の勝利は相手のキャッチャーが球を後逸しまして、3塁にいた私が生還しまして1点差で勝ちました。私の勝利得点勝ちですよ。もう一試合の勝ちは代打逆転サヨナラ勝ちで勝ちました。私の勝利打点で勝ちました。相手のピッチャーは同じ町内の野田さんです。球は遅い球ですので打ちやすかったです。その後公式戦で打席に立った時に「この人に打たれた」と笑いながらマウンドから周りの「あずさ」の選手に紹介していました。だから私を恨んでいるわけですよ。尚、私の弟も鎌田フレンドに入っていましたね。それがどういうわけか、最後の頃は監督をしていましたよ。監督の力で悪い同業者をクビにしてほしかったよ。
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