野村監督が亡くなりました。 その3 No.404
記事投稿日時:2020年03月29日日曜日
投稿者:司法書士川崎恭也事務所 カテゴリー: General
この題名のブログが事故で飛んでしまいましたので、書き直しています。この題名のブログは私がホームランバッターになったことを書くためにありますので、どうしても入れておきたく書いています。「あずさ」というチームと試合をしたことを書きます。読んだ方はスルーしてください。このチームとの試合で私がホームランバッターに成りましたので、どうしても書かなくてはいけませんので書く次第です。私が38歳ころだったと思います。試合は田原ソフトボール協会主催の公式戦でした。「あずさ」というチームの投手がとにかく投げるボールが早くて我がチームが三振の連続でして、最後のバッターで私が出ることになりました。私は打席に立つ前から3回バットを振るつもりで入りましたからね。それだけ球が速かったのです。当たれば儲けものだったというくらいで打席に入りましたからね。それだけすごく早かったのです。まず最初の球がきましたが、大かなぶりですよ。すると相手の1塁側ベンチがどんちゃん騒ぎになりまして、かなぶりに大喜びになりました。私もバットを投げ捨てまして、本気になって一番軽いバットはどれだと言ってしまいました。結局今のが一番軽いと言われまして、また拾って打席に入りました。とにかく私は3回バットを振るつもりでしたので、まだあと2回振れると気合を入れてはいりました。2球目を投げてきまして、そろそろ振らないといけないなとおもい思い振りましたよ。勿論球が来ていませんので、完全にやまかんで振りました。これが擦ると真芯にあたりまして、金属音のキーンを残して、ピッチャーの2メートルぐらい上を弾丸ライナーで飛んでいきました。私も巨人軍にいたクロマティーの真似をして一塁へ走りました。しかし途中であまりに早い打球だったので、センターヒットで返球で刺されると思い一塁まで最後は全力疾走になりました。それを見てなおさら一塁のベンチがしょぼんとなりました。かなぶりの時は大喜びですよ。打たれたらシーンとなりまして、よほど私に恨みを持っていると思いましたね。この一撃で私はホームランバッターになる技術を身に着けました。この技術を公開します。これであなたもホームランバッターになれますよ。
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