野村監督が亡くなりました。 その2 No.403
記事投稿日時:2020年03月27日金曜日
投稿者:司法書士川崎恭也事務所 カテゴリー: General
6月29日生まれの人は、結構向上心がありますので、いろいろの点で私と野村監督は似ています。昔、私も田原ソフトボール協会に加盟していたチームに入っていたことがありました。そのチーム名は鎌田フレンドというチームです。同じ町内のソフトボールの好きなもの同士が作ったチームです。当時はお盆になると町内対抗のソフトボール大会が毎年お盆に開かれていました。そこでそれなりに活躍していましたので、チームに入らないかとの誘いがありました。勿論好きだったので鎌田フレンドに入りました。田原のソフトボール協会では強い順にA,B,Cと別れていまして、当然私たちのチームはCクラスです。試合を楽しむチームですからね、欲のないチームですよ。私がホームランを打てるようになったのは田原市の協会主催の公式戦での出来事からです。相手のチーム名は「あずさ」です。私たちより上のクラスでBクラスのチームです。「あずさ」とは関係のない話ですが、協会では年に1回ほどクラスとは関係ない試合ができる規定がありまして、強いチームと試合をすることが出来ました。Aクラスのチームと試合をした時など、あいつらはCクラスの私たちのチームでもあほのように真剣に試合をしますからね。へぼチームの私たちは大変ですよ。ある時バントの格好をするものですから、私も気が抜けました。ところがそれがまねだったのですよ。バントすると見せかけてバットを引くんです。気が緩んでいた私の胸にボールが当たりましてね。試合中は何もなかったのですが、夜寝る前に横になろうとしたら、ギャーという声が思わず出ました。その後の1週間は寝るごとにギャーという悲鳴の連続でした。1週間したら痛みが無くなりましたけどね。多分弱い球でもあばら骨にひびでも入ったと思いますね。えらい目にあいましたよ。
事故でブログが消えましたので前に書いてなかったことを書きました。
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