報酬が自由化になる前に渥美郡内の先生が集まりまして、報酬に関しての御前会議を開きました。平成13年だったと思います。当時は田原町と渥美町の先生が合計5人いました。既に登記所は豊橋支局になっていましたね。当時私が渥美郡内の評議員だったと思います。それでどこで御前会議を開こうかなと思いました。私が決めなければなりませんでしたが、勿論人数の点からいっても田原で開くのが合理的ですよね。田原には私も含めて4人が事務所又は自宅がありますからね。それで御前会議の場所は即決定しましたよ。秘密の会合ですからね誰にも邪魔されないところがいいと思い田原町内のO先生の事務所と決めました。そしてこれもまた即承諾を頂きました。時間は平日の午後2時に始める事に決めました。田原の先生は何の問題もなく承諾を頂きました。後はあの廃業されたライバルの先生だけでした。私も「午後2時から始めますので豊橋支局での申請仕事の帰りにでも寄って下さい」と言いました。そしたらねもう少し遅くしてくれと言われました。私も言いました。「2時間はかかるからあまり遅く出来ないですよ」とね。そして「あとで報酬を教えてくれればいいよ」とも言われましたので、私も少し声高になって言いました。「渥美ではあんたが一番仕事が多いのだから、あんたが出ないと困るのです」と言いました。この先生にとっては私の報酬がこの先生の報酬ですからね、何かあれば私の領収書を手に入れればいいのですからね、御前会議など必要ないのかもしれません。話のあとで「そんな話に2時間もかかるわけないだろう」とも言われました。しかし私は結構時間がかかると思いました。会議の相手は田原の先生ですので、田原の先生が普段取っている報酬など決められても困ります。私としては最低報酬をきめるつもりでした。「最低これだけは取りましょうね」と必ず言うようにしましたよ。勿論私が指導権を握っていましたので、相手が話す前に決めるようにしました。私が幹事長で本当によかったですよ。最低報酬を2倍や3倍の田原値段にされてもこまりますのでね。廃業したライバルの先生などはホントは上げてもらいたかったかもしれませんがね。私の発言に苦笑いをしていただけで一度も何も言いませんでしたよ。渥美町の人はこんなに立派な悪徳先生が報酬を守ってくれてよかったですね。この報酬はあくまで司法書士の添付書類の報酬であり、行政書士関係の話は一切しませんでした。農地書類は当時でも報酬は別々だと全員知っていたと思います。ある程度は勝手に報酬を決めていたと思います。それでいいんですよ。本当はそれでいいのですよ、しかし渥美町だけですよ、私よりたったの1千円安くして、私を悪徳司法書士に陥れてるところは普通の町民ではないですよ。やはり私がまともで正しい先生だと言う広告が必要ですよね。御前会議が終わりまして、廃業したライバルの先生も私も掛け時計を同時に見上げました。嘘のように2時間経過して、ぴったりと4時を指していました。私には多少の超能力がありますのでね、当たるのですよ。私も得意満面にどうだ顔してにやりと笑いましたよ。

  これが報酬自由化前の御前会議でございます。平成13年頃、日本全国でこの様な御前会議が開かれたと思いますよ。たぶんね。

 以上、この話は田原町、渥美町、赤羽根町が合併して田原市になる前の話です。

 

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