昭和50年代の話です。勿論事件簿を調べれば正確な年代も分かります。私の持っている古い住宅地図にも、この話となる建物の名前が載っています。その地番を調べれば正確な時期は分かりますが、今回のブログではあまり関係ありませんので、詳しく書きません。昭和50年代のある日、前の古い事務所に男性の依頼人が来られました。第一印象は背はあまり高くはありませんでしたが、肩幅の広いがっちりした体格の方で背広姿でしたね。この方を見た時に、格闘技のスポーツでもやっているのかなと思いました。依頼人の話を聞くと、移転登記ができなくて困っているとの事でした。地目が農地で仮登記がしてあったと思います。民宿の隣にある農地を移転登記をして欲しいとの事でした。農地法第5条の許可を取る必要がありました。まわりは畑でありましたが、申請地はなぜか農地転用がすぐできる白地の農地でした。民宿の駐車場として申請地を転用すれば許可が下りそうだと思いました。当時渥美町農業委員会は古い渥美町役場の北側の2階にありました。担当は森下君でした。彼はもう中途退職して役場にはいませんが、彼が担当していた事を思い出します。5条許可申請書を持って行ったところ、申請人の名前を見て笑いながら私に言いました。「これあれじゃないの」と、私も実はうすうす感じていましたが、誰にも迷惑を掛ける仕事ではなく、登記が出来ずに困っているとの事でしたので、淡々と書類を作りました。その後、申請してから3ヶ月後に許可が下りてきました。移転登記も完了し、地目変更も完了して、しっかりと代書料も貰い終了しました。その年のお盆ごろに、この方が来られました。私も一瞬お礼参りかなと思ってしまいました。登記料がかなり高くなりましたからね。それで恨みでも言いに来たかと思いました。「先生その節はありがとうございました」と言って、大きな箱を差し出されました。なんとお中元でした。今までお中元などは貰った事が無く、びっくりしましたね。登記と同時に菓子折りを頂く事はありますが、後にも先にもお中元は初めてです。やはりこの方たちの世界は義理と人情の世界だったんですね。お中元はありがたく頂きました。


 高倉健さんが亡くなりましたので、このブログを書くことにしました。題名から察してください。高倉健さんのご冥福をお祈りします。



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