あなたのお父さんの話 その2 書類持ってドロン(2話) No107
記事投稿日時:2013年08月21日水曜日
投稿者:司法書士川崎恭也事務所 カテゴリー: General
第1話 頼むからAさん最初から私を指名してください。
田原市のN町に住むKおばあさんが、昔仮登記で買った農地をそろそろ、本登記の売買登記をしておきたいと思いました。やはりAさんにどこの先生がいいですか?と相談に行きました。勿論Aさんは当然OO先生がいいよと言いました。そこでOO先生のところに行って依頼しました。OO先生は話を聞き、名義人が死亡していますので、戸籍を取りよせ相続書類を作成し、特別受益証明書(たぶん)をKさんに渡しました。その時、相続書類代の報酬を全部先に支払ったそうです。Kおばあさんが自分で所有者(売主)の方の処へ行って、話をするように言われたそうです。当然ながらそんなことは素人の方では到底無理な話ですよ。それで困ったKおばあさんは隣の農家のよくしゃべる同じ年配のS女性に相談しました。そのS女性の家族は昔、私に大変お世話になっておりましたので、当然私の処へ行けと言いました。私もKおばあさんから、この話を聞きながら思いました。この仕事は相手を説得する必要があり、相続人に話をする面倒な仕事だから農地を買われた本人に直接書類を持たせて、先生は行かずに買主本人が話し合いに行ってきてもらおうとそう思ったんだろうなと思いました。
早速私も相続戸籍を取りました。相続人は5人程いました。被相続人の妻である一人暮らしのおばあさんに会いに中山町へ行きました。おばあさんの話では、お墓が建てたいとのことでした。早速Kさんにおばあさんの要望を聞かせました。私も裁判すればお墓代ぐらい出るから払ったらどうですかと言ったと思います。それで、Kおばあさんは、お墓代を払うとのことでしたので早速相続を進めました。売主の息子さんや娘さんの処へ行って話をしました。みんな理解を示し同意してくれました。やはり、何気ない仕事ですが、交渉力や会話力がものをいいます。ところで、昔はどこでもそうでしたが、当時は渥美町役場は土曜日でも仕事をしていました。何日間に分けて、土曜日の午前中に印鑑カードを借りては印鑑証明書を取って来ました。相続人が全部渥美町に住んでいましたので、意外とスムーズに話が進み、相続人の子供には一銭の手数料(はんこ代)の必要がなく証明書が集まりました。勿論、書類集めは私が全部やりました。ただ、渥美では処によっては、道路が狭く歩いて奥まで行かねばならず、カードもすぐその日に返さねばならず、息切れするほどでの往来もあり私としては結構大変な仕事でした。印鑑証明書代も当たり前ですが私が払いました。
相続登記を終えて、農地法3条の許可書も取り、移転登記の段階にはいりました。お金を払う段階で、ここで初めて、Kおばあさんの娘さんが来ました。ところが、この娘はしっかり者の娘で、お墓代と売買移転登記代は払うが相続登記代は払わないと言いだしました。私もイスからこけました。本当にまいってしまいます。結局、相続書類代や相続登記代は一人暮らしのおばあさんから貰うことになりました。お墓代を持って一人暮らしのおばあさんのところへ行って、私も申し訳けなさそうに「おばあさん相続登記費用はおばあさんから貰ってくれと言われました。おばあさん払ってくれますかね?」と言ったところ、おばあさんは、黙って払ってくれました。当時、相続登記代は5万円ぐらいだったと思います。勿論、旅費日当などは入っていません。お墓代は結構な金額でした。今でもこの金額ならお墓は充分建ちます。
※移転登記が完了した後、KおばあさんはAさんに文句を言いに行きました。「なんであんたはOO先生を紹介したんだ、OO先生は前金を取っても何もしてくれなかったが、川崎さんは一切、前金も取らずにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして移転登記をしてくれたよ、あんたは一体どんな人を紹介してくれたの」と怒って言ったそうです。Aさんは驚いて「へー」と言ったそうです。とにかくAさん私の仕事の邪魔をしないでくださいよ。お願いします。
※相続でも売買でも依頼先の先生を教えてもらうような相談なんかせずに私の処へ直接来る方は幸せ者です。ちなみにこのAさんの隣家にはわたしの同級生がいまして、オンライン減税の相続登記を私の処でやらせて頂きました。
この事件が何時起こったのか事件簿を調べてもわからなかったので、直接本人宅へ電話して聞くことにしましたところ、しっかり者の娘が出て「おばあさんがあの時私に登記しておきなさいと言われ、私に登記したよと言われ、農家台帳を調べたら、確かに娘の名前の土地が1筆ありました。早速、税務課で土地台帳を調べて、登記年月日を調べました。相続登記が平成元年3月、移転登記が平成元年4月でした。実を言いますと、今、このしっかり者の娘から相続登記を依頼されていますが、病気がちの妹が少しお金を請求しており、相続ができません。私は妹の味方になっており、しっかり者の娘に「そのくらいの金額なら払ってやれ」と言ってますが、しっかり者の娘らしく、もう少しまけて欲しいと言っています。この間にKおばあさんは、亡くなりました。勿論、亡くなる前に、印鑑証明書は取っております。
※平成5年4月からは渥美町役場は週休2日制になった。
※「 司法書士愛知2000年3月号 No.72 」にSさん家族の話が載っています。この話はこのブログにはとても書けませんので、あしからず。
第2話 書類を持ってドロン
ひどい話もあるものだ、やっと相続書類が整ったころ、それを持って他の先生のところへ行って相続しろとは一体どういうことでしょかね。農家でいえば、やっと丹精して作った作物を畑から持ち逃げされたと言うことですかね。この頃よくある話として、畑に置いてた仕事に使う一番大切なトラクターを盗まれたと同じゃないですかね、私だってこう見えても農家の味方です。渥美町内でトラクターを盗まれた時は本当に怒れました。しかし簡単に他の先生を紹介するなんて、営業妨害だ。本当に全くひどいことをする親父(Aさん)がいるもんだ。これが渥美町の現実です。あなたのお父さん(Aさん)はこんなことをしたんですよ。当時、事務所の外にいたら偶然、相続を依頼されたおじいさん(Bさん)の息子が私の事務所の前を歩いてるのを見つけて呼び止め話を聞くことが出来ました。話しの中身はこうです。B相続人のすぐ近くに住んでるAさんに、「川崎より司法書士のOO先生が安くていいそうだから、構わんからその相続書類を持って頼みに行きなさい」と、たぶんこんなことをと言われて、私が作成した相続書類を持って行けと言われて、その書類を持って行って相続登記をやってしまいましたと言うんですよ。全く何を考えているのかね。Aさん、あんたは何者だ?日本人じゃないよな。こんな義理も人情もない事を平気でする奴は死んでしまえ、のつぼにはまって死んでしまえ、何も知らないのに知ったかぶりをするな、お前に司法書士の何が分かるんだ、渥美の司法書士のことを知っているのか、俺のことを全部知っているのか、お前が死んだ方が渥美のためだ。とついつい怒鳴ってしまいました。(実を言いますと、役場の中でカラオケで鍛えた大きな声でAさんの悪口を言いました。先ほどのようなことを言いました。そして「役場の職員の中にこのAを知っている奴がいるだろう、川崎が本当に怒っていたと言っとけ」とも言いました。勿論全面戦争は承知ですよ。仕事を邪魔する奴は早く死ぬような天誅が下ってほしいと誰でも思っちゃうのは私だけでしょうか。)その後Bさんはすぐ翌年に亡くなりましたが、やはり私と話をした、Bさんの息子は又、OO先生の処で相続登記をしたそうです。この男は所ジョージに考えがよく似ている。人生をいい加減に考えてる。そういえば顔立ちも似てるよ、馬ずら顔で、いい人生だよ感心するね、ところで、Bさんの相続登記でこの相続人の中に相続に協力しない人がいましたので、裁判をさせました。裁判するぐらいなら印を押すからと言って相続書類に印を押してくれたそうです。それでも、私の所で登記をしないんですよね、相続証明書は全部で20枚ぐらい書きました。勿論戸籍も渥美役場分は取りました。戸籍代も含めてこれ全部がパーですよ。一切私の処では前金貰っていませんからね。いくら私に損害を与えればいいんですかね、全く渥美町民はアホ町民ですよ。勿論、私のところで登記する方はアホはいませんがね。この話は古い前の事務所の時代の話です。
※この話は事件簿にないのでBさんの宅地を調べたら平成2年と3年(Bさん死亡)に相続していました。
※このOO先生の味方のAさんと渥美の当時の新庁舎で偶然会いました。勿論、私は軽く挨拶をしました。そして、正々堂々と振舞いました。その時Aさんは、私を見て不思議な顔をしていました。なんで川崎は私の悪口を言うんだろうと言うような顔をしていました。勿論私はこの男の悪口を言っており、当然この人は悪口のことを承知だったと思います。しかし、その時はなぜ私が悪口を言っているのか分からなかったのかも知れません。私も少しは超能力がありますので、一瞬Aさんの考えが私の頭の中にテレパシーとして入ってきたように感じました。この人は私が戸籍を取ったり、相続証明書などは作成していたことも知らなかったかも知れません。知っていればそれを持ってOO先生へ行けとは言わなかったかも知れません。私もこのAさんの私を見て不思議な顔を見てそう思いました。しかし、Aさんは第1話の話を知っておりますので、それでもOO先生へ行けとは、余程その先生にほれてるのかね。こんな渥美で私は仕事をやってるんですよ。渥美の方はお馬鹿さんばっかりで、本当に情けないです。目覚めよ、渥美原人たち。
※ちなみにこのOO先生は仮登記の本登記をせずに、残して移転登記するんですよ、だから相続登記の時が残された仮登記抹消の最後のチャンスです。相続で見つけて仮登記を抹消しなければ、又見つけるのはまず不可能かも知れません。そのためにも第3者の私に頼んだ方がいいのです。偶然ですが今、平成25年8月13日付けで豊橋支局へ仮登記を権利混同で抹消中です。はっきり言ってとても複雑な登記です。その昔仮登記を相続して.売買の本登記をすれば簡単に全部済んだのですがね。今、相続登記で終わったばかりの相続書類より古い前の相続書類を捜させて持ってきてもらいまして、仮登記を相続してから混同で抹消です。これしか道はありませんでした。今提出中です。難しい抹消ですので少し心配です。
※このAさんの性格等を調べることにしました。生年月日が必要でしたが、この方は地元では少しは知られた方です。そのため偶然ですが、昔の保証書(登記義務者の人違いなき保証書です。作成年月日は昭和47年3月2日付けです。)を、手に入れることが出来、捨てずに大事に保存していたのが間に合いました。この書類の保証人欄の生年月日で調べたところ、Aさんは超癒し系のお父さんだと分かりました。この方には一流も二流も、三流の人たちも癒されようと自然に集まってくる人だと分かりました。その中の人がこの超癒し系のAさんに私よりOO先生が安くていいと言ったんだと思います。全くくだらない情報ばっかり手に入れて、またそれを御丁寧に使うんだから参ります。アメリカの内部告発者スノードン氏のような一流の情報元ならいいですがね、私の悪口を言うようじゃ超三流情報者ばっかり集まってきてるじゃないですか。パパラッチクラスでしょうね。実を言いますと、私にもこの超癒し系の友人がいます。やはりここにも私のような一流の人や二流、三流の人が集まって来ます。中にはこの方の奥さんの目を盗んで、お店から2000円盗んでいった、盗人までいましたからね、本当に色々集まって来ます。このAさんもこんなところではないでしょうかね。とにかく私の悪口を言うようじゃたいしたことはありませんね。私の友人の超癒し系の誕生日は勿論知っています。私が相続登記をしましたからね。その相続登記もとんでもない大変な相続登記でした。それはまた後日ブログに載せます。それでは私の友人である超癒し系のそのひとの名を発表します。田原市に住む自転車屋さんの藤城さんでーす。この人は昭和1※年の2月1日生まれでとても超癒し系の男です。自転車が欲しい方はぜひ藤城輪店でお買い求め下さい。パンク修理もやっていますし、ホンダの50CCオートバイも売るために置いてもあります。行けばとても癒されます。又、骨董品などの興味もあり、ここへ持ちこむと売ってくれます。私も、結構ここで良いものを見つけては買いました。ホントです。実を言いますと私も実は骨董品の目利きなのです。私は主に絵のほうですがね、この人は陶器が強いです。静岡の掛川からも(私はこの男を「掛川の人」と言っていました。この男と骨董品で昔、取りあいのケンカになったことがあります)この男も掛川からここへ見に来ますからね、本当に藤城は凄い人です。
癒し系のおじさんの声を聞きたい方は
藤城オートサイクルセンター 電話番号 0531-22-3815 です。
携 帯 090ー6087ー3388
お店の場所 愛知県田原市田原町本町3番地3
※今、8月21日12時 この話をブログに載せることを藤城氏が承諾されました。
※以上、超癒し系の人には色々な人が集まって来ますよと言う話です。
※尚Aさんは2年ほど前に亡くなっています。相続は田原の先生でやっていました。
オンラインではなかったと思います。私が一番安いのに残念です。
030301(謎の番号?解けるのはAさんの家族しかいません)
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田原市のN町に住むKおばあさんが、昔仮登記で買った農地をそろそろ、本登記の売買登記をしておきたいと思いました。やはりAさんにどこの先生がいいですか?と相談に行きました。勿論Aさんは当然OO先生がいいよと言いました。そこでOO先生のところに行って依頼しました。OO先生は話を聞き、名義人が死亡していますので、戸籍を取りよせ相続書類を作成し、特別受益証明書(たぶん)をKさんに渡しました。その時、相続書類代の報酬を全部先に支払ったそうです。Kおばあさんが自分で所有者(売主)の方の処へ行って、話をするように言われたそうです。当然ながらそんなことは素人の方では到底無理な話ですよ。それで困ったKおばあさんは隣の農家のよくしゃべる同じ年配のS女性に相談しました。そのS女性の家族は昔、私に大変お世話になっておりましたので、当然私の処へ行けと言いました。私もKおばあさんから、この話を聞きながら思いました。この仕事は相手を説得する必要があり、相続人に話をする面倒な仕事だから農地を買われた本人に直接書類を持たせて、先生は行かずに買主本人が話し合いに行ってきてもらおうとそう思ったんだろうなと思いました。
早速私も相続戸籍を取りました。相続人は5人程いました。被相続人の妻である一人暮らしのおばあさんに会いに中山町へ行きました。おばあさんの話では、お墓が建てたいとのことでした。早速Kさんにおばあさんの要望を聞かせました。私も裁判すればお墓代ぐらい出るから払ったらどうですかと言ったと思います。それで、Kおばあさんは、お墓代を払うとのことでしたので早速相続を進めました。売主の息子さんや娘さんの処へ行って話をしました。みんな理解を示し同意してくれました。やはり、何気ない仕事ですが、交渉力や会話力がものをいいます。ところで、昔はどこでもそうでしたが、当時は渥美町役場は土曜日でも仕事をしていました。何日間に分けて、土曜日の午前中に印鑑カードを借りては印鑑証明書を取って来ました。相続人が全部渥美町に住んでいましたので、意外とスムーズに話が進み、相続人の子供には一銭の手数料(はんこ代)の必要がなく証明書が集まりました。勿論、書類集めは私が全部やりました。ただ、渥美では処によっては、道路が狭く歩いて奥まで行かねばならず、カードもすぐその日に返さねばならず、息切れするほどでの往来もあり私としては結構大変な仕事でした。印鑑証明書代も当たり前ですが私が払いました。
相続登記を終えて、農地法3条の許可書も取り、移転登記の段階にはいりました。お金を払う段階で、ここで初めて、Kおばあさんの娘さんが来ました。ところが、この娘はしっかり者の娘で、お墓代と売買移転登記代は払うが相続登記代は払わないと言いだしました。私もイスからこけました。本当にまいってしまいます。結局、相続書類代や相続登記代は一人暮らしのおばあさんから貰うことになりました。お墓代を持って一人暮らしのおばあさんのところへ行って、私も申し訳けなさそうに「おばあさん相続登記費用はおばあさんから貰ってくれと言われました。おばあさん払ってくれますかね?」と言ったところ、おばあさんは、黙って払ってくれました。当時、相続登記代は5万円ぐらいだったと思います。勿論、旅費日当などは入っていません。お墓代は結構な金額でした。今でもこの金額ならお墓は充分建ちます。
※移転登記が完了した後、KおばあさんはAさんに文句を言いに行きました。「なんであんたはOO先生を紹介したんだ、OO先生は前金を取っても何もしてくれなかったが、川崎さんは一切、前金も取らずにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして移転登記をしてくれたよ、あんたは一体どんな人を紹介してくれたの」と怒って言ったそうです。Aさんは驚いて「へー」と言ったそうです。とにかくAさん私の仕事の邪魔をしないでくださいよ。お願いします。
※相続でも売買でも依頼先の先生を教えてもらうような相談なんかせずに私の処へ直接来る方は幸せ者です。ちなみにこのAさんの隣家にはわたしの同級生がいまして、オンライン減税の相続登記を私の処でやらせて頂きました。
この事件が何時起こったのか事件簿を調べてもわからなかったので、直接本人宅へ電話して聞くことにしましたところ、しっかり者の娘が出て「おばあさんがあの時私に登記しておきなさいと言われ、私に登記したよと言われ、農家台帳を調べたら、確かに娘の名前の土地が1筆ありました。早速、税務課で土地台帳を調べて、登記年月日を調べました。相続登記が平成元年3月、移転登記が平成元年4月でした。実を言いますと、今、このしっかり者の娘から相続登記を依頼されていますが、病気がちの妹が少しお金を請求しており、相続ができません。私は妹の味方になっており、しっかり者の娘に「そのくらいの金額なら払ってやれ」と言ってますが、しっかり者の娘らしく、もう少しまけて欲しいと言っています。この間にKおばあさんは、亡くなりました。勿論、亡くなる前に、印鑑証明書は取っております。
※平成5年4月からは渥美町役場は週休2日制になった。
※「 司法書士愛知2000年3月号 No.72 」にSさん家族の話が載っています。この話はこのブログにはとても書けませんので、あしからず。
第2話 書類を持ってドロン
ひどい話もあるものだ、やっと相続書類が整ったころ、それを持って他の先生のところへ行って相続しろとは一体どういうことでしょかね。農家でいえば、やっと丹精して作った作物を畑から持ち逃げされたと言うことですかね。この頃よくある話として、畑に置いてた仕事に使う一番大切なトラクターを盗まれたと同じゃないですかね、私だってこう見えても農家の味方です。渥美町内でトラクターを盗まれた時は本当に怒れました。しかし簡単に他の先生を紹介するなんて、営業妨害だ。本当に全くひどいことをする親父(Aさん)がいるもんだ。これが渥美町の現実です。あなたのお父さん(Aさん)はこんなことをしたんですよ。当時、事務所の外にいたら偶然、相続を依頼されたおじいさん(Bさん)の息子が私の事務所の前を歩いてるのを見つけて呼び止め話を聞くことが出来ました。話しの中身はこうです。B相続人のすぐ近くに住んでるAさんに、「川崎より司法書士のOO先生が安くていいそうだから、構わんからその相続書類を持って頼みに行きなさい」と、たぶんこんなことをと言われて、私が作成した相続書類を持って行けと言われて、その書類を持って行って相続登記をやってしまいましたと言うんですよ。全く何を考えているのかね。Aさん、あんたは何者だ?日本人じゃないよな。こんな義理も人情もない事を平気でする奴は死んでしまえ、のつぼにはまって死んでしまえ、何も知らないのに知ったかぶりをするな、お前に司法書士の何が分かるんだ、渥美の司法書士のことを知っているのか、俺のことを全部知っているのか、お前が死んだ方が渥美のためだ。とついつい怒鳴ってしまいました。(実を言いますと、役場の中でカラオケで鍛えた大きな声でAさんの悪口を言いました。先ほどのようなことを言いました。そして「役場の職員の中にこのAを知っている奴がいるだろう、川崎が本当に怒っていたと言っとけ」とも言いました。勿論全面戦争は承知ですよ。仕事を邪魔する奴は早く死ぬような天誅が下ってほしいと誰でも思っちゃうのは私だけでしょうか。)その後Bさんはすぐ翌年に亡くなりましたが、やはり私と話をした、Bさんの息子は又、OO先生の処で相続登記をしたそうです。この男は所ジョージに考えがよく似ている。人生をいい加減に考えてる。そういえば顔立ちも似てるよ、馬ずら顔で、いい人生だよ感心するね、ところで、Bさんの相続登記でこの相続人の中に相続に協力しない人がいましたので、裁判をさせました。裁判するぐらいなら印を押すからと言って相続書類に印を押してくれたそうです。それでも、私の所で登記をしないんですよね、相続証明書は全部で20枚ぐらい書きました。勿論戸籍も渥美役場分は取りました。戸籍代も含めてこれ全部がパーですよ。一切私の処では前金貰っていませんからね。いくら私に損害を与えればいいんですかね、全く渥美町民はアホ町民ですよ。勿論、私のところで登記する方はアホはいませんがね。この話は古い前の事務所の時代の話です。
※この話は事件簿にないのでBさんの宅地を調べたら平成2年と3年(Bさん死亡)に相続していました。
※このOO先生の味方のAさんと渥美の当時の新庁舎で偶然会いました。勿論、私は軽く挨拶をしました。そして、正々堂々と振舞いました。その時Aさんは、私を見て不思議な顔をしていました。なんで川崎は私の悪口を言うんだろうと言うような顔をしていました。勿論私はこの男の悪口を言っており、当然この人は悪口のことを承知だったと思います。しかし、その時はなぜ私が悪口を言っているのか分からなかったのかも知れません。私も少しは超能力がありますので、一瞬Aさんの考えが私の頭の中にテレパシーとして入ってきたように感じました。この人は私が戸籍を取ったり、相続証明書などは作成していたことも知らなかったかも知れません。知っていればそれを持ってOO先生へ行けとは言わなかったかも知れません。私もこのAさんの私を見て不思議な顔を見てそう思いました。しかし、Aさんは第1話の話を知っておりますので、それでもOO先生へ行けとは、余程その先生にほれてるのかね。こんな渥美で私は仕事をやってるんですよ。渥美の方はお馬鹿さんばっかりで、本当に情けないです。目覚めよ、渥美原人たち。
※ちなみにこのOO先生は仮登記の本登記をせずに、残して移転登記するんですよ、だから相続登記の時が残された仮登記抹消の最後のチャンスです。相続で見つけて仮登記を抹消しなければ、又見つけるのはまず不可能かも知れません。そのためにも第3者の私に頼んだ方がいいのです。偶然ですが今、平成25年8月13日付けで豊橋支局へ仮登記を権利混同で抹消中です。はっきり言ってとても複雑な登記です。その昔仮登記を相続して.売買の本登記をすれば簡単に全部済んだのですがね。今、相続登記で終わったばかりの相続書類より古い前の相続書類を捜させて持ってきてもらいまして、仮登記を相続してから混同で抹消です。これしか道はありませんでした。今提出中です。難しい抹消ですので少し心配です。
※このAさんの性格等を調べることにしました。生年月日が必要でしたが、この方は地元では少しは知られた方です。そのため偶然ですが、昔の保証書(登記義務者の人違いなき保証書です。作成年月日は昭和47年3月2日付けです。)を、手に入れることが出来、捨てずに大事に保存していたのが間に合いました。この書類の保証人欄の生年月日で調べたところ、Aさんは超癒し系のお父さんだと分かりました。この方には一流も二流も、三流の人たちも癒されようと自然に集まってくる人だと分かりました。その中の人がこの超癒し系のAさんに私よりOO先生が安くていいと言ったんだと思います。全くくだらない情報ばっかり手に入れて、またそれを御丁寧に使うんだから参ります。アメリカの内部告発者スノードン氏のような一流の情報元ならいいですがね、私の悪口を言うようじゃ超三流情報者ばっかり集まってきてるじゃないですか。パパラッチクラスでしょうね。実を言いますと、私にもこの超癒し系の友人がいます。やはりここにも私のような一流の人や二流、三流の人が集まって来ます。中にはこの方の奥さんの目を盗んで、お店から2000円盗んでいった、盗人までいましたからね、本当に色々集まって来ます。このAさんもこんなところではないでしょうかね。とにかく私の悪口を言うようじゃたいしたことはありませんね。私の友人の超癒し系の誕生日は勿論知っています。私が相続登記をしましたからね。その相続登記もとんでもない大変な相続登記でした。それはまた後日ブログに載せます。それでは私の友人である超癒し系のそのひとの名を発表します。田原市に住む自転車屋さんの藤城さんでーす。この人は昭和1※年の2月1日生まれでとても超癒し系の男です。自転車が欲しい方はぜひ藤城輪店でお買い求め下さい。パンク修理もやっていますし、ホンダの50CCオートバイも売るために置いてもあります。行けばとても癒されます。又、骨董品などの興味もあり、ここへ持ちこむと売ってくれます。私も、結構ここで良いものを見つけては買いました。ホントです。実を言いますと私も実は骨董品の目利きなのです。私は主に絵のほうですがね、この人は陶器が強いです。静岡の掛川からも(私はこの男を「掛川の人」と言っていました。この男と骨董品で昔、取りあいのケンカになったことがあります)この男も掛川からここへ見に来ますからね、本当に藤城は凄い人です。
癒し系のおじさんの声を聞きたい方は
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※今、8月21日12時 この話をブログに載せることを藤城氏が承諾されました。
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※尚Aさんは2年ほど前に亡くなっています。相続は田原の先生でやっていました。
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