この女性は、いつもは他人に金を出させては儲けさせてもらっていましたが、ついに本人が多額の金を出して、大博打をするはめになりました。この人には本人にぴったりな本業がありました。私もこの女性がする、その仕事は、まさに生れつきの才能だと思っていました。でも、その職業の全ての人たちの多くが個人営業者の自営業であり、その自営業たる本業が安定していなかったと思っていたのでしょう。そのために、この女性はある副業を考えました。簡単に机の上で計算し、これは儲かると思いました。計算は簡単でした。1日何人の宿泊客がいれば、いくら儲かると言う計算です。それなりの宿泊施設を建て、手伝ってくれる弟夫婦の1軒家の居宅を建て、近くに勤めている料理人に来てもらい料理を作って出せば、それで儲かる計算になっていました。こんな簡単な計算で儲かると思いますか?。私はとにかく大反対をしました。これは大博打を打つんだぞ、これをやったら2度と元に戻れないんだぞ、と口をすっぱくなるほど言ったものでした。ある時、渥美病院へこの女性が結石で、入院した時もわざわざ行って、説得しました。この女性は私の話しなど聞こうともしなかったですね。いつも、えへら、おほらと、にやにや笑っていました。この女性は今から始める宿泊客相手の仕事に対して事の重大性を全く認識していなかったのです。渥美の金融機関もお金を貸す予定になっており、年の割には思慮の浅い、ええころ八兵衛爺さんが、やれば儲かるなどと言って保証人になっており、準備は着々と進んでいました。そして、昭和54年の10月に建物が完成し、事業を始めました。初めてすぐに金融機関で、この女性が言いました。「これじゃ赤字で儲からないは」とね、偶然そこにいた私の知人が聞いて、私に話してくれました。これはえらい事になったぞと思いました。注意しないとこの女性が借金弁済のために何をしでかすかと思うと、心配になりました。知らずに近ずく人たちをこの女性のアリ地獄に引きずり込むことになるかもしれず、もう元には戻れず、どうにもならない事になってしまいました。そして、私が言った事が現実になってしまったのです。勿論、事業を始めた当初からいいことなど一度も無く、最初に設定した抵当権も抹消されることも無く、さらに色々な金融機関で金を借り、そして、平成15,6年に最後を迎えました。バブルの時、更地のままで、この土地を売れば、大儲け出来たのに、逆に大借金の大損です。大反対する人がいたのに、無視した報いです。今頃になって「あの時、川崎さんだけが反対した」と思い出して言っても、もう遅いわ。この大ばか者。

 普通の方で、先を見通して、大反対する人なんか捜してもいませんよ。普段から女性の方は博打などやった事は無いと思います。だから、博打の怖さを知らないのです。芸能人やスポーツ選手の奥様が亭主の金を使って大儲けしようとして、大失敗した話をよく聞きます。この奥様たちが、博打の恐ろしさを知っていれば、大借金が残るような事は、無かったと思います。小銭を使って博打の怖さを経験させるのは、いいことだと思います。大会社の役員の方も一度は小銭で博打をすることをお勧めします。あくまで小銭ですよ。会社の金を持ち出して大博打を打つのは、言語道断です。あくまで小銭の範囲で博打の怖さを覚えさせることが大事です。博打を一度もしなかった大会社の社長さんの失敗話を次に書きましょう。しかし、もし博打で儲けられた人がいたら、これは単なる偶然、ラッキーだっただけですよ。しかし、ラッキーなことは何度もあるわけはなく、最後は失敗して終わりです。皆さんも欲はほどほどにして、気をつけて下さい。



 昨日、この話の建物を閲覧したところ最初に借りた金も含めて1度も弁済による抹消登記がなされていないのです。大失敗事業でした。私は金を貸した支店長さんにも言いました。「なんでお金を貸したんですか?」とね。私があれほど大反対したのに、私は絶対失敗すると思ってました。もう、工事を始めたら後の祭りですよ。
 
 ※ここに出てくる「年の割には思慮の浅い、ええころ八兵衛爺さん」は物語が書けるほどの人物です。


 私もこの女性と同じ職業の人たちが、あるスーパーマーケットを初めた話を少し話します。ここに書いた女性と同じ職業の人に私が「OOさんが経営するスーパーが1カ月10万円(昭和46年頃)の利益がある」と言ってしまったことがあり、それを聞いてその同じ職業の夫婦が真剣に考えスーパーをやりだしてしまいました。私もとんだことを言ってしまったと、後悔しました。今でもそのスーパーは2か所に店を持ち、しっかりと本業としてやっています。でもここに書いた女性と違って、まだこのスーパーは、家族で働いていますので、失敗はなく、うまく営業しています。商売するなら仲のいい家族でないといけませんね。


 この話をアップする為、本人の処へコピーした紙を持って行ってきました。このアップを承知してもらいました。何か入れるものがあれば入れるよと言いましたら、息子さんも事業に反対していたと言いましたので、ここに書きます。海岸近くに建てられた建物は長い年月の間、何の手入れも無く、さびの出放題で,2階への外階段も、既にぼろぼろで使用不可能状態でした。儲かっていればペンキを塗ってたと思いますが、一度も手は加えて無かったですね。 にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 田原情報へ
PR:債務整理ナビ.link【費用を比較して借金減額の相談と依頼へ!】