2017年 6月の記事一覧
今回の天皇陛下は昭和天皇です。勿論これも掛軸のオークションからの話です。昨日の日曜日がオークションの最終日でした。その日のオークション終了時間は夜の10時37分になっていました。ちょうどその日は町内会の役員会でしたが、7時に始まり8時に終わりましたので、全く余裕をもってパソコンでの準備に入る事が出来ました。とは言っても私が二日前に付けた値段は9000円でした。この値段が最後の30分前までは動かなかったですね。絵は山水画です。細密画で描かれていましたが、最初はあまり興味が無かったですね。と言うのも日本画にこの作者の名前が無かったからです。私も最終的には渥美町に美術館を造るにしても、いくら絵がうまいといっても名もない人の絵を飾るわけにはいけませんからね。やはり見に来る方が興味を抱いて見て下さらないとこまります。 だから最初は入札もしなかったですよ。その後、やはり絵が素晴らしい事が分かりましたので、とりあえず入札をしました。しかし私と同じようになかなか値段は上がりませんでした。途中からこの漢学者を調べる事にしました。ぶ厚い美術年鑑の日本画欄には全く出ていませんでしたが、「故人書家及び名士」の欄に出てきました。最高額は60万でした。絵の評価か漢字習字の掛軸の評価なのかは分かりませんでしたが、とにかく山水画は素晴らしいし、ところどころしか読めない変わった漢字の詩もありますし、私としては買っておいても損はないなと思いました。その後この漢学者を調べた処とんでもない人だと分かりました。
以下はインターネットのウイキペデイアに記載されたのを載せました。作者の方すいません。
明治34年(1901年)、『朝陽閣字鑑』を著わした。これは大正10年(1921年)、補正され『補正朝陽閣字鑑』36巻が刊行された。また『漢字詳解』6巻を著わし、『古籀篇』(首巻1巻、本文100巻、補遺2巻、転注仮借説1巻、篆文索引6巻、隷文索引2巻、学古発凡6巻、すべて117巻。明治18年(1885年)起稿、大正7年(1918年)完成、大正11年(1922年)刊行)を著わすにおよんで、大正8年(1919年)、帝国学士院賞を受賞。三井財閥・三菱財閥が出資者、政府が発行者となり、皇室へ献上された。国内外の大学や公立図書館、海外は中国(当時支那)をはじめ欧米各国の大学図書館へ寄贈され、大絶賛を博した。十体の書体を自在に書き分けたという書家としてだけでなく、漢文、漢詩、南画等を研修し、高い評価を得ていたが、漢字の研究に最も尽力し、「学界の巨人」と呼ばれ、中国の研究者達を驚嘆させ、後世にも大きな影響を与えた。泰東書道院学術顧問、大東文化大学名誉教授。 昭和天皇より「高田忠周(竹山)は国宝、我が国唯一の説文学者」と称された。説文学における東洋の泰斗である。
昭和21年(1946年)10月、東京都世田谷区成城の自邸において歿す。
主な編著書[編集]は次のとおり
- 『五体千字文』(奎文堂、1880年)
- 『小学必携習字問答』(1887年)
- 『朝陽閣字鑒』三十巻(吉川弘文館、1902年-1903年) - 明治天皇天覧
- 『漢字詳解』(西東書房、1909年-1912年)
- 『五體字類』(西東書房、1916年)
- 『補正朝陽字鑑』(竹山先生著書刊行会、1923年-1925年)
- 『古籀篇』百巻(古籀篇刊行会、1925年) - 帝国学士院賞受賞
- 『漢字の起原と支那古代の文化』(大阪毎日新聞社、1928年)
- 『大系漢字明解』(富山房、1936年)
- 『十体字範』前後篇(興文館、1940年)
未刊の稿本に『克鼎釈文初藁』、『説文講疏』170巻、『段注弁疑』103巻、『説文要義』42巻、『字学淵源』25巻などがある。17歳より86歳の間に著書は三百巻に及ぶ。
と、まー凄い人でした。それでこれはどうしても欲しくなりました。しかし、私はここまで調べましたので欲しくなりましたが、残りのオークション30分間のやり取りは意外とあっさりと終わりました。凄い人の絵だとはたぶん知らなかったと思いますよ。
ついでに
作品所蔵先を書きます。
- 東京国立近代美術館 南画條幅十九点所蔵
- 愛知県豊川稲荷本山妙厳寺 記念碑 - 書画作品も所蔵。
- 川崎恭也事務所 山水画を1点所蔵。となります。
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