2015年 6月の記事一覧
«Prev1Next»
簡単に戸籍が復活するかと思いましたが、そうは問屋が卸しませんでした。私も失踪宣告取消書類を家裁へ出せば簡単にこの娘さんの戸籍が復活すると思いました。裁判所から郵便で書類が届きまして、兄や姉の電話番号を知りたい事だとか、今までの生い立ちなどを書いた書類を提出する事や、本人の写真も今度は最初提出した4枚と同じもの3枚ずつ計12枚だして欲しいなどと書いてありました。それをもって16日に来て欲しいとの事でした。中に入っている骨董屋のおやじから話を聞いて私も両親へ電話をする事にしました。電話しましたが、全く話にはなりませんでした。余程娘さんを殺しておきたかったのかと思いました。兄と姉の電話番号は聞けませんでした。そこで家裁へ電話しまして、調査係の方に電話をかけて色々聞くことにしました。「戸籍を追っかければ確かに兄や姉の現住所は分かりますが、そこで電話番号を教えてくれるかどうかは分かりません。私も1年ぐらい前からこの女性を知っており、本籍や実家の電話番号も間違いありませんでした。私がこの女性の証人になってもいいですよ」と言いました。司法書士の先生が証人になると言ってるのだからこんないい話はないと思いましたが、「最後は裁判長の判断ですから、この女性の分かるところまでで結構です」と言われました。一旦殺されると、なかなか戸籍を復活させるのは難しいですね。本人が生きていると言って出てきたならば、嘘ではない限り簡単に認めて戸籍を復活してくれると思いましたが、こんなに難しいものだとは思いませんでした。結局16日までは電話番号も分からずに本人と骨董屋のおやじが書類を持って面接に行きました。私も事務所を早く切り上げて家裁で落ち合いました。最初は本人の面接でしたが、あまり長くなりそうでしたので、先に豊橋支局に行って仕事をしてきました。裁判所に戻ると今度は骨董屋のおやじが面接中でした。私も面接されるかと思いましたが、必要なかったみたいでした。後から骨董屋のおやじに言われました。面接をした調査官は、この女性は幸運だそうです。私や、骨董屋のおやじがボランティヤで真剣に動いていてくれるからだそうです。確かに偶然が重なって流れ着いてきた場所が私たちのような人のいい男たちがいるところだったのが良かったかも知れません。なんと言っても司法書士の先生が証人になると言っているのですからね、こんな心強いことはありませんよ。しかし、本人の女性は他人事のように呑気なものですよ。今まで病気もせず心配もなく生きてこられたのでしょうね、でもこれからは保険もないですし、何かあったらどうするのでしょうかね。早めに手を打っておく事が大事ですよ。しかしたいしたことでもないのに骨董屋のおやじが精神的に参ってるそうでして、私もこの件を早く終らせてしまいたいです。
» 続きを読む
私は鎌田町内会27年度の防災リーダーを任されました。そして今月の6日(土曜日)に第一回の田原防災カレッジ受講会がありました。田原の文化会館1階の多目的ホールに集まりまして、二人の講師の方の話を聞きました。一人は田原の消防本部の防災対策課長さん。そしてメインの講師の方は、兵庫県立松陽高等学校の英語の先生諏訪清二さんでした。英語の先生がなんで防災の講師になったかと言いますと、兵庫県立舞子高等学校の環境防災科開設時より科長を務めたのが始まりだそうです。
インターネットでこの方を調べればここに詳しく書かなくてもよく分かると思います。1時半から4時までの講習会でしたが、講演会の終わりに質問をまとめて受け付けますとの事でした。そしてその質問の時間に入りましたので、質問をさせて頂きました。私は前から二列目にいましたので、早速手を上げると、最前列にいた市役所の職員の粕谷君に直接マイクを手渡されました。質問の中身は「先生は色々な所で講演をしていると思いますが、私は阪神淡路大震災の時、地震雲を見ました。他では見た人はいましたか?」です。 先生の話では地震雲は見てないようでしたが、雷があったそうです。あまりぱっとしない話でしたので、渥美半島で地震雲を見た話をしました。休みの日でしたが偶然にも事務所に行った帰りに地震雲を見た話をしました。田原市石神町の信号機を赤羽根方面に曲がってすぐに高空に地震雲が出ていた話をしました。雲の形も短い3センチぐらいの平行線2本の雲の形も話しました。そして、勿論一生の内に見ることが出来るかどうかの珍しい大地震が起こる地震雲の形でしたので、わざわざ車を止めて、下りて上空を見た話もしました。また今来た石神の信号の方を振り返って見ると、全く同じ形の地震雲が三河湾の高空に出ている話もしました。とにかくそこで起こった地震雲の話を全部させて頂きました。私は先生にも聞いて欲しかったのですが、勿論地元の人にも聞いて欲しく話しました。この防災カレッジの講演会には200人以上の人が来ていましたので、私もこの話をどうしても話しておく必要が有ると思い話しました。これで渥美半島で見れた地震雲の話を共有できましたからね。とても有意義な講演会だったと思いますよ。きっとたった一人の私しか見ていなかったとゆう地震雲の話は初耳だったと思います。太平洋の上空と三河湾の上空に同時に同じ形の地震雲がかなり高い上空に出ていたとゆう話ですが、こんな話は初めて聞いて驚いたと思います。それと私がオカルトに興味がある話もしまして、そのおかげで偶然地震雲の発見ができた事も話しました。そして最後に「この地震雲を見たのが私の自慢です」と言うのを付け加えました。勿論笑いを誘う為でしたが、近くにいる人たちが笑って頂きました。あまり堅い話にならないよう、ユーモアも時には必要だと思います。
講演会の始まる10分前ぐらいには着く予定でしたが、駐車場が満杯でして、置くところがなく、苦労しました。30人ぐらいは集まるのかなと思っていましたが、200人以上いましてびっくりでした。とにかく私の地震雲の話をこの200人以上の人に話すことができて良かったと思います。情報の共有は大事ですからね。一人でも空を見上げる癖がある人が出来たのではと思うと心強いですからね。
もう一度言います。とにかく高度の高い上空に2,3センチぐらいの短く白い雲が出るのが大地震が起こる地震雲です。阪神淡路大震災の時に出た雲は、2,3センチの雲が平行に2本出ていました。1000年後に石神町の道路から太平洋と三河湾上空に二本の平行線が出る雲が見えたならば、ああ恐ろしい、阪神淡路大震災が必ず起こります。尚私のブログでは過去にこの話を載せていますので、私のブログを読んでいる方は承知の事だと思います。何度も書いてすいません。
14日の日曜日東海テレビの10時の宮根誠司司会のMr.サンデーに地震雲の話が出ましたが、その時、テレビの画面に本の表紙が出ました。鎌田忠三郎さんが書いた地震雲の本で、私が古書店で買ってきた本と同じです。偶然ですが、持っている人はいるんですね。今、田原市の図書館で調べても古すぎて置いてませんでした。
インターネットでこの方を調べればここに詳しく書かなくてもよく分かると思います。1時半から4時までの講習会でしたが、講演会の終わりに質問をまとめて受け付けますとの事でした。そしてその質問の時間に入りましたので、質問をさせて頂きました。私は前から二列目にいましたので、早速手を上げると、最前列にいた市役所の職員の粕谷君に直接マイクを手渡されました。質問の中身は「先生は色々な所で講演をしていると思いますが、私は阪神淡路大震災の時、地震雲を見ました。他では見た人はいましたか?」です。 先生の話では地震雲は見てないようでしたが、雷があったそうです。あまりぱっとしない話でしたので、渥美半島で地震雲を見た話をしました。休みの日でしたが偶然にも事務所に行った帰りに地震雲を見た話をしました。田原市石神町の信号機を赤羽根方面に曲がってすぐに高空に地震雲が出ていた話をしました。雲の形も短い3センチぐらいの平行線2本の雲の形も話しました。そして、勿論一生の内に見ることが出来るかどうかの珍しい大地震が起こる地震雲の形でしたので、わざわざ車を止めて、下りて上空を見た話もしました。また今来た石神の信号の方を振り返って見ると、全く同じ形の地震雲が三河湾の高空に出ている話もしました。とにかくそこで起こった地震雲の話を全部させて頂きました。私は先生にも聞いて欲しかったのですが、勿論地元の人にも聞いて欲しく話しました。この防災カレッジの講演会には200人以上の人が来ていましたので、私もこの話をどうしても話しておく必要が有ると思い話しました。これで渥美半島で見れた地震雲の話を共有できましたからね。とても有意義な講演会だったと思いますよ。きっとたった一人の私しか見ていなかったとゆう地震雲の話は初耳だったと思います。太平洋の上空と三河湾の上空に同時に同じ形の地震雲がかなり高い上空に出ていたとゆう話ですが、こんな話は初めて聞いて驚いたと思います。それと私がオカルトに興味がある話もしまして、そのおかげで偶然地震雲の発見ができた事も話しました。そして最後に「この地震雲を見たのが私の自慢です」と言うのを付け加えました。勿論笑いを誘う為でしたが、近くにいる人たちが笑って頂きました。あまり堅い話にならないよう、ユーモアも時には必要だと思います。
講演会の始まる10分前ぐらいには着く予定でしたが、駐車場が満杯でして、置くところがなく、苦労しました。30人ぐらいは集まるのかなと思っていましたが、200人以上いましてびっくりでした。とにかく私の地震雲の話をこの200人以上の人に話すことができて良かったと思います。情報の共有は大事ですからね。一人でも空を見上げる癖がある人が出来たのではと思うと心強いですからね。
もう一度言います。とにかく高度の高い上空に2,3センチぐらいの短く白い雲が出るのが大地震が起こる地震雲です。阪神淡路大震災の時に出た雲は、2,3センチの雲が平行に2本出ていました。1000年後に石神町の道路から太平洋と三河湾上空に二本の平行線が出る雲が見えたならば、ああ恐ろしい、阪神淡路大震災が必ず起こります。尚私のブログでは過去にこの話を載せていますので、私のブログを読んでいる方は承知の事だと思います。何度も書いてすいません。
14日の日曜日東海テレビの10時の宮根誠司司会のMr.サンデーに地震雲の話が出ましたが、その時、テレビの画面に本の表紙が出ました。鎌田忠三郎さんが書いた地震雲の本で、私が古書店で買ってきた本と同じです。偶然ですが、持っている人はいるんですね。今、田原市の図書館で調べても古すぎて置いてませんでした。
» 続きを読む
«Prev1Next»