2014年 9月の記事一覧

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14年09月30日 07時39分06秒
Posted by: kawasaki
 MRI画像撮影の翌日の18日(木曜)、午後4時に市民病院での画像診断の予約になっていました。この日は豊川出張所に出した相続登記ができましたので、わざわざ取りに行きました。豊橋から6キロと結構近いですので、書留郵送せずに持参にて申請しました。豊川出張所はオンライン申請で出しましたが登記完了が早いですね。我が豊橋支局も頑張って欲しいものです。次に豊橋裁判所へ寄りました。あるお客さんに頼まれました競売物件に関する代理の書類申請です。既にこの物件はこのお客さんが落としており、わざわざ競売物件に押したハンコも借りてきました。住民票、価格通知書、銀行へ振り込んだ書類、物件の一番新しい土地謄本、FAXで送られてきた登録免許税などの必要印紙代と郵送料の切手代等の書かれた書類、お金では受け取れないとの事で、郵便局へ走りました。また振込用紙が裁判所から送られてきたものを使っていないため、裁判所の3階にある会計係りに職員の方が相談に行ったりしてかなり時間を食ってしまいました。市民病院に時間どおりには行けずやきもきしながら終らせました。病院へ電話で「遅くなるがいいですか」と聞いてから向かいました。結局4時45分頃着きました。受付で書類をもらい少し待って診察室へ入りました。MRI画像の実物を見るのは初めてです。結構はっきりと写っていました。「筋肉に癒着は有りますか」と聞いたところ、ここに袋状のものがあり、癒着は無いそうでした。詳しくは名古屋から先生を呼んで診てもらいますとのことでした。もしかして名大医学部付属病院の先生かも知れません。やはり少し大きな腫瘍ですから、大事を取ったと思います。検体を取って調べると言われました。私も8月の手術を経験していますので、「40年以上も前からあり癌ではないですから、取った検体を後で調べればいいですよ」とまるでお医者さんの様に言ってしまいました。名古屋から来るベテラン先生には10月15日に診て頂く事になりました。



 裁判所の職員の方に言われました。競売物件のお金を振り込む時は必ず裁判所から送られてきた振込み用紙で振り込んでくださいとの事でした。



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14年09月27日 11時19分42秒
Posted by: kawasaki
 9月3日(水曜)の初診から2週間後の9月17日(水曜)朝9時からMRIの画像撮影を受けました。勿論MRIは初体験です。テレビなどではよく見ますが、自分が中に入るのは初めてです。9時に予約が入っていましたので、MRIの受付で話しましたら、体に金属製品がないか、ペースメーカーを使っているかなどの質問が書かれたレポート板を渡されました。書き終わり提出すると、すぐ中に入れてもらいました。中に入ると、入り口でスリッパを履き替えさせられました。次は着替えコーナーへ連れて行かれ、検査服に着替えさせられました。パンツと前の日に買った袖のないシャツの上から検査服を着ました。検査係のお兄さんから20分掛かると言われ、腕のしこり部分に何かを巻かれ撮影中は動かないようにしてくださいとも言われました。
 ヘッドホンを渡され撮影台に横になり、頭からしずしずとMRIの中に入っていきました。ヘッドホンは最初から音楽が流れていたと思います。ヘッドホンから検査の女性の声が聞こえ、検査が始まりました。まるで工事中の中にいるみたいで、大きな音ががんがんごんごんと聞こえるのです。その間じっと動かないようにしていました。予定どおり10分後に出され、逆の腕側に看護婦さんから造影剤を注射され、またMRIの中に入れられました。それから10分間またじっとしていました。途中で一瞬気持が悪くなりましたが、手渡された押しボタンは押しませんでした。おにぎりを1個だけ食べてきたのがいけなかったかも知れません。2個食べておく必要があったと思います。いつもはモーニングバイキングで結構食べますからね。少食過ぎたかも知れません。そんな事を考えながらその後は持ち直し完了しました。セルフの会計機械でお金を払い、前日に申請しておいたオンライン申請書類を持って登記所へ走りました。事務所に戻ってきたのは12時でした。 前日に事務所の入り口に張り紙を出していましたが、ぴったしかんかんでした。


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14年09月26日 04時49分20秒
Posted by: kawasaki
 今月の9月3日に裁判所で10時に証人として呼び出されまして、11時に終りました。この話はまたブログに載せられるかも知れません。まだ11時でしたので、午前中なら市民病院で診察を受ける事ができますので、その日は事務所を休むことにしました。受付で最初の診察券を貰う事ができ、1時30分に診察が決まりました。少し時間がありましたので、その間に軽い昼食を取ることにしました。実際に始まった診察は2時ごろぐらいだったと思います。  
 実を言いますと、右腕のつけ根近くにたまご大のしこりがあり、これも手術で取る事にしました。前の病院ではMRIが無いので無理だそうでした。MRIのある病院へ行ってくださいとのことでした。それで最初に決めていた、市民病院へ来たのです。なぜ市民病院がいいかといいますと、ホームページに難しい手術は専門病院を紹介すると整形外科のところに載っていましたので、安心して診察できるなと思った次第です。本当は名古屋大学医学部付属病院の整形外科の手術数の多さから、そこが良かったのですが、少し遠いのであきらめました。しかしもしかすると、そこの名大付属病院と市民病院とは連携しているかもしれません。まーそんなわけでとりあえず診察することにしたのです。その日はレントゲンを撮られました。骨への癒着はないそうでした。まずは一安心です。そうそう職業欄が書いてありましたので、司法書士と入れておきました。少しはいいことがあるかもしれません。


 ソフトボールの試合中にはなんら支障はありませんが、先のことを考え取ることにしました。たぶん司法書士会の試合後に手術になると思います。絶対日帰りで帰りたいと思います。


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14年09月24日 10時58分14秒
Posted by: kawasaki
 8月に相続登記を依頼され、 8月28日に、新潟の十日町市の法務局に書類送付で、オンライン相続登記を申請しました。この物件は、20年ぐらい前に相続登記をさせて頂きました。その時のご主人が亡くなり、今度は奥様への相続登記を依頼されました。最初の時の相続書類を持ってきて頂き、使える戸籍を2通抜き出しました。その後、十日町市役所に、不足分の除籍謄本1通と、価格通知書1通を同時依頼請求しました。3日ぐらいして、税務課より本人の委任状が必要だとの事で、送付して下さいと電話がありました。職員と交渉の結果、相続登記用の委任状のコピーで良い事になり、委任状のコピーを1通送りました。その後、戸籍1通と価格通知書1通が同封されて届きました。税務課の職員の方は、私の住む田原市の税務課にも電話して田原市での価格通知書の出し方を聞いており、田原市では司法書士が申請書を書けば、すぐ出していただける事を聞いて知っていますので、送られてきた請求書類以外に、税務課の価格通知書の出し方の方針などが書かれた紙が1通入っていました。これを見て、結構十日町の法務局と連携しているなと思い感心しました。


 8月中に相続人3人の印鑑証明書も全部集まり申請しました。価格通知書をコピーして、原本還付してもらいたく申請しましたが、原本還付はできないみたいで、本物を使われてしまいました。私が送った申請書に綴じたコピーが登記完了証書類に入って送られてきました。十日町支局は、価格通知書に関して少し神経質になっているみたいですね。これにも感心しました。


 相続登記料は全部で67,714円(全実費込)です。なぜ登記料まで載せるのだといいますと。つい先日、別の事件で売主の方の農地の謄本を取りましたところ、すぐ近くなのに他の先生で相続登記をしていましたので、土地(畑)1筆だけの相続登記料を載せる事にしました。この登記料で高いか安いかは先生ならば分かりますよね。この金額に対して私は逃げも隠れもいたしません。まじめな先生が地元にいることを忘れないで欲しいです。  いやほんとに情けない。


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14年09月22日 12時23分17秒
Posted by: kawasaki

「あなたの事が好きなのにー、私にまるで興味ない、何度目かの失恋のじゅんびー、 イエイ、イエイ、イエイ」 
と歌っていましたが、本当にダメになってしまいました。私の骨董品買い出しオヤジがとんでもないミスをしでかしまして、千手観音様を見す見す取られてしまいました。逃がした獲物は大きいと言いますが、ホントに大きいです。千手観音様は高さが1メートルもあり、黒檀でできているとのことでした。一度も拝まずに東京にお嫁に行ってしまいました。
 愛知県に住む仏師が持っていましたが、オヤジが忙しく仏師の処へ行くのが遅くなってしまい、仏師が要らないと思い、東京へ売ってしまったそうです。文化大革命の時、中国から持ってきたそうですが、本当に残念です。オヤジの話では6何万円で売れたそうです。私は手に入れても売るつもりはありませんので、値段は関係ありませんが、とにかく素晴らしいものだと話を聞いていて分かっていましたので、「持ってこい持ってこい」と催促していましたが、本当に残念です。中国では千手観音を踊りに取り入れた、若い女性たちの踊りもあるぐらいですので、これが田原市に有れば中国人観光客もわんさか田原にきたかもしれず、惜しい事をしました。実を言いますと、毎年10月11日の渡邉崋山先生の命日になりますと、崋山会館でお宝の展示会があり、私も田原市民の目の保養になればいいと思い、私物を毎年展示させて頂いています。 今年はこの千手観音様を出して、田原市民の度肝を抜く予定でしたが、あっさり振られました。
 もしこれが手に入っていれば、田原市には、渡邉崋山先生と千手観音様と二つの宝物があり、素晴らしい事になったのに残念です。買い出しオヤジも年のせいか、お店に遊びに行くと、疲れて口を開けて、どどーと寝ているのを時々見ますので、あまり無理に取りに行けとも言えず、失敗しました。 
 あーあ、 10万円で買えたのに  恋するフォーチュンクッキーを歌って踊っても、もう帰ってこないのか フー


 まだ仏師のところにはガンダーラの石仏があるそうですが、そんな重たいものは、重量挙げの選手ではありませんので、あまり興味はありません。



 

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14年09月16日 07時22分08秒
Posted by: kawasaki
  「奥さんが亡くなってから何年になるの?」と聞いたところ、男は「7年になるな」と言った。みんな奥様の事が好きだったのに、この男に殺されました。私はこの男の奥様がいつ病気になっていたのか全く知りませんでした。夫婦ではないのだから仕方がありませんが、この男も知らなかったかも知れません。しかし、普通の男ならきっとおかしいと気づいたと思います。私が夫ならきっと気づいたと思います。気づいたとゆうよりは、奥様の発言を聞いておかしいと思ったと思います。私が夫ならば、とにかくすぐにでも病院へ一緒にでもついて行きます。おかしいと思ったら自分の判断ではなく、やはり医者の判断に任せるべきです。素人の判断など必要ありません。私はこの旦那の考えを知っています。この男は私が「Aが正しい」と言えば、必ず「Bが正しい」と言う男です。絶対に相手に同調しないのです。自分の考えが正しかろうが、間違いだろうが、そんな事はお構いなしです。とにかく相手の考えの反対の考えを主張するのです。私もこの男の子供たちに聞いたことがあります。お父さんに「留学したい」と相談するなら、むしろ「留学を諦めている」と言った方がいいだろうと聞いたところ。ピアノの上手な娘は「そうそう逆を言えば必ず思っていた事を言ってくれるから」と言いました。ほんとにこの男は必ず逆の事しか言わないのです。とにかく、相手の考えが正しいかろうが、間違っていようが、相手の逆の主張をするのがこの男の昔からの癖なのです。早い話が、お山のお猿さんタイプなのです。ボス猿の発想です。この男と話をすれば必ず平行線なのです。1週間後に今度は私が、Bと言えば、この男はAと言うだけです。ほんとに平行線です。私はこの男の奥さんではありませんが、この男の考えが分かっていますので、生か死かの大事な時には絶対相談などはしません。しかし、この奥様もこの旦那がいい加減な事をいつも言っているのを聞いていますので、私の前で確かに言いました。「いい加減な事を言うな」と言っていました。奥様だって知っていたのにどうしてこの男の事を信じたのか残念です。

  長くなりましたがここからが本題に入ります。奥様はきっとこの旦那に相談したのでしょう。体の調子が悪いと思い相談したのだと思います。するとこの男はいつもの癖を出してきたのです。病気ではなく気のせいだと言ったと思います。また逆の事、また自分のいい加減な主張を言いたくなったのです。それで手遅れになったのです。奥様は亡くなりました。
 奥様こんないい加減な事を言う旦那に生か死かの重要な事は絶対相談しないで下さい。自分の体がおかしいと思ったならばとにかく病院へ行ってください。旦那に相談すればいい加減な事を言われて手遅れになるだけです。みんな奥様の事が好きなのにもう会えません。必ず病院へ行ってください。気やすめな事をいわれて手遅れにならないで下さい。
 



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14年09月08日 10時42分53秒
Posted by: kawasaki
 この話は平成の話です。今の事務所の時代の話になります。私のブログの中のNo107の第一話の中に出てくる「しっかり者の娘」の妹が嫁いで行った先の相続登記にまつわる話です。妹さんは後妻にはいりました。先妻の方は死別か離婚で別れたかは分かりません。先妻の方の子が一人いました。その子は農家の跡継ぎのお嫁さんになりました。
 この相続は最初他の司法書士の先生に頼みましたが、やはり前に進まなかったので、しっかり者の娘さんが私のところに持ってきたものです。最初はこんな相続は難しいものではないと思いました。必要な相続書類は先妻の子一人だけの分だけですからね。話をすればすぐにまとまる話だと思いました。私もとりあえず電話しました。先妻の子が電話に出るのですが、そのそばに旦那が付きっきりになり、隣でぼそぼそと話をするのです。要するに、お嫁さんに相続書類に印鑑を押すなと言っているのです。この旦那さんは、相続財産が欲しいのですかね。お嫁さんは旦那さんが亡くなれば、その家の農家の全財産が入るのですから、なにも後妻が相続で貰う父親のちっぽけな財産など、全く必要ないと思いますが、細かい事を言っているのです。本当に困りました。私もこの男の腹の小ささに腹が立ちました。はっきり言って、お前には関係ない話だろうと思いました。小さな宅地と建物を後妻に入った女性に渡すだけです。後妻の方が、農家に嫁いだ娘の父親が病死で亡くなるまで全て面倒を見ており、財産を相続するのは当然のことだろう。すぐに相続の書類に実印を押してやれと言うのが男の甲斐性だろう。私が旦那ならば相手の未亡人になった後妻の事を思い、すぐに実印を押して相続書類を渡すようにしますよ。しかしこの男は違いました。2、3回電話しましたが、その度に電話のそばで、ぼそぼそ言ってるのです。私もこんな事は初めてです。こうゆう話ではむしろ女性がしっかりしていて、女性の方が表に出てきて、色々調べて自分で判断するのですが、この女性の家庭は全部旦那が決めるのでしょうか。結局話がまとまらず、時間だけが経ちました。それから数年経ちました。その旦那さんは近くの病院へ入院することになりました。病名は分かりませんが、「すぐ退院するからお見舞いにこなくてもいいよ」などと言っていたそうです。ところが入院してすぐに亡くなってしまったそうです。病気のことも手術したかどうかも分かりませんが、とにかく、あっという間に亡くなったそうでした。義父の逆鱗に触れてしまったのでしょうか。私もこの夫婦の色々な話を聞いていましたので、私も実はこの旦那に対してかんかんに怒っていました。それからしばらくして相続書類に実印を押して印鑑証明書を貰ったそうです。去年後妻の女性が、私の事務所にこられましたが、色々あってまだ相続登記は頼まれていません。色々ごたごたがありましたので、印鑑証明書などの相続書類を無くさないかそれだけが心配です。



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14年09月02日 15時07分13秒
Posted by: kawasaki
 個人へ売買による移転登記が、なぜその当時出来なかったかは、今もあの当時も分かりません。私の処へ移転登記を頼みにきた時には既にかなりの時間経過があり、当時の売主の方は既に亡くなっていました。ある法人が私の所へこの移転登記を依頼に来たときには、この法人の職員と売主の相続人との間で既に話が済んでおり、幾らかのハンコ代を払って相続人から移転することが決まっていました。法人に勤めている職員の方より私に相続人の所へ行って移転登記書類に実印を押してもらい、移転登記をして欲しいとの依頼を受けました。早速相続人に全員集まってもらい、移転登記用の書類を持って相続人の自宅に行く事になりました。相続人は全員集まっていました。ハンコ代は既に決まっていましたので、そんなに難しい仕事ではありません。ハンコ代も私が決めていたならもっと少なかったと思います。私にしてみれば結構いい金額だと思っていました。座敷に通されて大きな座敷用の机の前に座り相続人の方々に話を始めました。「皆さんの印鑑証明書が1通ずつ要ります。」とまあこんなことを話したと思います。亡くなったお父さんの実印の押された売り渡し証書も持って行きましたね。これらを見せながら私が持ってきた新しい売り渡し証書や委任状に実印を押して下さいなどの事を言いました。相続人の中に旦那さんも一緒に連れて来た方がいまして、その旦那さんが突然話の中に入ってきて、「俺が話をつけてやる」と言い出しました。私も困ってしまいました。もう話が済んでいるのに何んの話をするのですか?と聞きました。私も金額を決める権利もありませんので、結局その場は何も決まらず解散しました。以上の話を法人の職員に話しました。しばらく様子を見る事にしました。それから1カ月後にこの旦那さんが不慮の事故で亡くなってしまいました。私もこの未亡人になった方に電話しました。結構ひどい電話をしましたね。「亡くなった父親が売買した土地で、もっとお金が欲しいと言うのは、父親もあの世で怒っているんですよ。旦那さんはバチが当たったんですよ。」とまあこの様なひどいこと事を言いました。さすがにそれから一年間はほったらかしになりましたね。一年後法人の職員の方が来られましたので委任状や売り渡し証書などを渡しました。私もひどい事を言っていましたので、「今度はすぐにくれますよ」と職員の方に言いました。勿論今度は何も起こらず必要書類を集めて持って来て頂きました。相手の方もまた死人が出たら大変ですからね。早速移転登記をして完了しました。


 この話は渥美半島の渥美町にまだ渥美出張所とゆう登記所があった頃の話です。昭和の時代の話です。


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