2014年 4月の記事一覧
渥美半島の先にある旧渥美町のアホ町民が、いそいそと仕事を持ってくるお陰で、儲かってしょうがないらしく、笑いの止まらない先生が、豊橋支部総会後の宴会の席上で、渥美のアホ町民の口コミ被害を一番受けている私に対して、つい本音をポロリと言ってしまいました。少しはこの先生酒でも飲んでいたのかどうかは全く分かりませんが、ほとほと渥美のアホ町民は田原の町まで出向いて行って、知らず知らずに大恥を掻いているとは、本当に情けない話です。
いそいそとアホ町民が仕事を持って行ってる先生がどんな本音を私に言ったかって、こんな事を言ったんですよ。
「渥美町は口コミが凄いところだね」
この一言で私に来る仕事をこの先生にごっそりと持っていかれてると思いました。口コミは本当に恐ろしいですよ。たぶんこの先生は、アホ町民にこんな事を聞いてるかもしれません。
「なんで川崎先生のところに行かないんですか?」と、するとアホ町民は胸を張ってこう答えてると思います。「あそこは高いと評判だからさ」と、さも俺は知ってるぞとゆう顔をして得意満面で答えたのだろうね。ホントにこのアホ町民は何にも知らないくせに情けないやつらだぜ、、いいか、この先生はな、渥美町民の所有農地が絡んだ抵当権詐欺事件の登記の片棒を担いでいるんだぞ。アホ町民よ目を覚ませ。この先生は、私がこんなブログを書いているなど全く知らないので、笑いながら私がどんなに正義感があっても口コミには勝てないぞ、と、つい本音がでてポロリと言ってしまったのだろうな。しかし、こんなブログでしか渥美のアホ町民のかたきを打つ事が出来ないのは残念だよ。
私はこの言葉を聞いて一瞬にして酔いがさめましたよ。そして、このブログを書くことを思いつきました。口は災いの元ですか。
去年、渥美町で営業していた行政書士の先生がお辞めになりましたが、辞めた先生はこの先生と組んで仕事をしていました。たぶん登記代があまりにも高いため、最後は競争出来なくなり廃業に追い込まれたと思います。自分の仲間を殺してはいけませんよ。なぜ登記代が高いのが分かるかって、農地の交換登記でいくらで出来るかと報酬の電話が掛かってきた時、これだけ掛かりますと報酬を言いました。勿論すぐ事務所に依頼のため飛び込んできました。この方は2、3ヶ月前にも農地交換登記をしており、私の登記料が格段に安い事が比較できたのでしょう。とにかくいくら掛かるか値段を聞けばいいんですよ。私は逃げも隠れもいたしません。
今年は4月25日(金曜日)に豊橋支部総会がありました。去年は私が議長になりましたが、去年の総会には田原市の先生は偶然かも知れませんが、顔見知りの先生は一人も出席されていませんでした、今年は多くの先生が出席されていましたね。
( ブログ No.93 豊橋支部総会で議長になりました )見てください
2013年4月
( ブログ No.21 不動産詐欺事件 その3 )見てください
2011年11月
( ブログ No.166 農地交換報酬競争、3連勝負けなし)見てください
2014年1月
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私がこの本を買ったのは阪神・淡路大震災より少し前でしたので、たぶん平成4年か5年頃だったと思います。買ったばかりもあり、当時はかなり真剣に空を見て研究していましたね。小さい地震が起こる地震雲はこの本を見て分かるようになりました。その経験などにより、阪神・淡路大震災の地震雲を偶然発見することが出来たと思います。
今この本を見ますと、私が見た雲は本の中の写真には一切出ていませんでした。たぶん当時はこの本を読んで、地震雲に興味を抱いて空を良く見ていたのだと思います。とにかく低空ではなく、高いところに短くはっきりと出る雲が特に大きな地震が起こる地震雲だと覚えました。私が見た雲は高空に一本線ではなく、3センチぐらいの長さで狭く平行な二本線で出ていましたので、珍しい出方の雲だったと思います。私が見た雲はきっとかなり珍しい貴重な形の地震雲だったかも知れません。今までにはない雲だったかも知れません。結構私は偶然のチャンスに強い男かもしれませんね。渥美半島に襲ってくる地震にもぜひ地震雲を見つけて地元に知らせたいですね。勿論、大地震などは起こらない方がいいに決まっています。地震雲を見つけたその日は事務所を休んで、市長につきっきりで、「海岸線に住む住人をすぐ避難させろ」と直談判します。大地震があっても津波が来ないなど、空振りになったらどうするのかって、その時は正々堂々とごめんなさいとあやまります。津波が来ても逃げ遅れて2万人も死ぬよりはましですからね。
地震雲に関する話はブログNo.70と、No.100 です。読むときっと為になると思いますので、見てください。
ロッカーの中を整理していましたら、昔買ったオカルト本等がぞろぞろと出てきました。その中の一つを紹介します。
「大地震予知法」 木越保光著 たま出版 昭和51年初版本
この本の中に三脈護身法がありました。これを知っていれば、韓国フェリー船の沈没 事故を防げたかもしれません。グーグルで調べて下さい。
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それで、娘(依頼人)さんに申請地への売買の仮登記をして、その後母親に農地売買移転登記をしておく方法を提案しました。母親が亡くなり次第相続登記で娘さんに移転登記をして完了です。この話はすぐにまとまりましたが、当時のことですので、この母親には私は一度も会ったことも無く、娘さんに全て話の内容は任せました。勿論ですが、売主の方にも母親名義にすることを納得させていただきました。
母親への売買移転登記も完了して、それから何年経ったかわかりませんが、平成元年の終りの頃のある日、娘さんが、母親であるおばあちゃんが亡くなったと訪ねてこられました。私もこれで娘さんへの相続移転登記が出来て全て完了だと安心しました。
早速母親であるおばあちゃんの戸籍謄本などを取りました。戸籍を見たところ、このおばあちゃんは愛知県内のある町からお嫁さんになって渥美町に入籍された事が分かりました。そしてその出生地の戸籍を郵送で取ったところ、驚いた事に、再婚によって渥美町に入籍されていました。その後最初の嫁ぎ先の戸籍を取ったところ、案の定と言いますか、子供が二人いました。姉弟でした。娘さんに聞いたところ、全く知らなかったそうです。おばあちゃんはお墓まで最初の嫁ぎ先で生まれた姉弟の事は、一言も言わずに亡くなったそうです。私も簡単な相続だと思ったのですが、とんでもないことになってしまいました。ちなみに父親に登記をしておけばよいかと思いますが、当時は今と違って、農家の主人の多くが農業者年金制度に加入しており、父親に安易に移転登記は出来ない時代でした。
こんなはずではなかったのですが、仕方がありません。この企画を考えた責任もありますので、私が二人の相続人(姉弟)へ手紙を出して相続書類を集めることにしました。お涙頂戴やら、浪花節やら、挙句の果ては、せめておばあちゃんは、あなたたちに亡くなったことだけでも知らせたかったと思います。などと必死に書いて送りました。その甲斐あって、すぐに相続書類が送られてきました。しかし一緒に同封されて入っていた姉からの手紙には、あなたの浪花節など聞きたくもないと、書かれてもいました。ごもっともな話です。しかし、産みの親より育ての親と申しましょうか、意外と素直に育っていまして、相続トラブルにもならず早く解決できました。簡単に相続登記が出来て、ホントに良かったです。
このような母親に農地を移転後、相続にて取得させた事はこの一件だけでしたね。よりによってたった一件だけでしたが、冷や汗をかきました。世の中には遺言書として残さなくても、このおばあちゃんのように、亡くなったことを知らせることができたのは、このおばあちゃんに農地を移転登記したおかげかもしれません。おばあちゃんも草葉の陰で私に手を合わせて「川崎さんありがとう」と、にこにこしながら言ってたかも知れませんね。
相続登記完了後、娘さんは姉弟へ、お礼のメロンを送ったそうです。
終わりよければ全てよし。
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