2013年 3月の記事一覧

«Prev1Next»
13年03月31日 18時58分23秒
Posted by: kawasaki
 平成22年1月頃の夕方に二人の依頼者が事務所に来られました。内容は交換登記です。3条許可書(2件)と交換登記(2件)で報酬は全部でいくら掛かりますかと尋ねられました。どこの町内の方か分かりませんでしたが、いつもの報酬を言いました。するとどこかで調べたのか、「おい、ここは安いぞ」と一人の方が後ろにいた人に話しました。後ろの方は最後まで一言も話しませんでした。私は内心この後ろにいる人はあんまり私のことを信頼していないなと思いました。結局後ろの方が一言も話さなかったので、今日は依頼せずに帰ると言われ、又二人で話した後で又来ることになりました。それから10日経った頃に、最初に来て話をした依頼人が来られ、私の処で交換登記をしたいと依頼されまた。早速、委任状に名前と住所を書いてもらいました。もう一人の方にも実印を持って来てもらうように話しました。二人とも中山町の方でした。話をした人をKさん、1度も話さなかった後ろにいた人をHさんとしますと、Hさんの所有地に無断転用地が見つかりました。勿論先に無断転用をしなければ農地交換の許可はおりませんので、Hさんにその話をしました。その無断転用地はすでに他の人の土地であり、その人が費用を出して、無断転用である現況証明書を取ることが必要な土地でした。私も少し前にその人の自宅敷地へ通ずる土地の移転登記をさせてもらっており、偶然、次に進むべき必要な移転登記の義務者の方が来てくれたのです。渡りに舟とはこのことですね。今回の偶然の登記の件でHさんが義務者になり移転登記をしたのは3人の方で、登記申請は3件になりました。仕事のない先生は無から有を作らなければいけませんので大変です。Hさんが義務者になり移転登記(贈与)をした土地には宅地があり、当然固定資産税が掛かっていました。実を言いますと、私と弟の調査士が分筆登記などを進め、そのために進入道路を付け替えたりしたために、今まで宅地だった土地は評価の安い現況雑種地評価になり、逆に進入道路宅地になったHさんの土地が現況宅地課税されたのです。Hさんは5年間も宅地の固定資産税を払っていました。そのため5年分の市役所からの固定資産税を払ったことが分かる市役所発行の用紙をたいせつに持っていました。このことは市役所の現況宅地となっていた価格通知書を見れば分かりますので、当然Hさんに今まで払ったことの分かる用紙を持って来て下さいと言ったところこの用紙を持って来てくれました。それでこの立て替えた固定資産税を私がOさんから集金してきてHさんに渡しました。Hさんもここで初めて私のことを信頼するようになりました。それで「実は10年ほど前に農業者年金を貰おうと依頼に行ったところ、分筆の必要な農地転用があるから農業者年金はやめときなさいと言われ、結局止めてしまった」と言う話を話しだしました。それでその土地を見に私も行って来ました。自宅のそばの農地に4坪ぐらいの通り抜けできる木造瓦葺の物体がありました。しかしその下にはキャベツが栽培されていました。私は「その土地はそのまま畑として申請すればよく、分筆も農地転用(現況証明書申請)も必要のない土地であり農業者年金申請には全く障害になることはないですよ」と、言いました。その後Hさんは当時の農業委員の方に聞いたらしくやはり農地転用など必要ない土地だったと言われたと私に話しました。結局Oさんへの進入道路宅地の現況証明申請は必要ですが、農業者年金は当時申請すれば必ず貰うことが出来たはずでした。それで私が「なぜ私の処に来なかったのですか?」と笑いながら言いました。Hさんも黙って、ただ苦笑いするだけでした。この方が中山町民でなければきっと私の事務所に来ていたでしょうね。中山町民はどれだけ損をすればいいのですか?早く目覚めて下さい。


農業者年金を貰わなかった人はまだ他にもいるかも知れません。私の事務所では全く考えられない話です。
13年03月28日 15時59分44秒
Posted by: kawasaki
 こんな話があったことなどもう忘れていました。先月、小塩津町に住む方が農地の贈与を依頼に来まして、その書類を今月である3月の農業委員会に提出しました。依頼された時に色々な話をしたんですが、その時に、依頼者の方が、他の先生に「農業者年金はやめときなさい」と言われた話をしだしました。私も言われてみてそんな話がそういえばあったよなと思い出しました。当時は農業をやっている方はかなりの方が、農業者年金制度に入っており、私たちもこれは結構いい仕事になりました。そのためそんなことを言う先生がいるなど考えられませんでした。余程仕事があって忙しいのでなければ、断るか本人にやめさせるかも知れないと思いましたが、その先生の考えは全くもって分かりません。この依頼者は、この話を話しましたので、私もそんな話がそう言えばあったよなと、思い出した次第です。当時のことを思い出してみますと、依頼者が私の所へ来て、その先生で断られた話をしましたので、私が、「だめですよ農業者年金は充分もらえる資格がありますから、農地法第3条の使用貸借の許可を取りましょう」と私も強く言ったと思います。こちらも報酬がもらえる仕事ですからね、断る理由などありません。本当は本人も年金を貰いたいと思っていたんだと思います。それで私の所へ相談に来たのだと思います。勿論私が年金を貰えるように、やりましょう、やりましょうと言いましたので、希望が出てきたんだと思います。その先生は農業者年金をもらうと色々な条件が付き、農業経営に不便なこともあり、それでそのようなことを言ったのかも知れません。しかし、今までに許可を取った人で、私に限っては途中で年金が止まることは一度もなく、代書がしっかりすればすべて順調に年金が貰うことができていますので、なにも農業者年金をやめさせる必要などはないはずです。交換や売買でも年金が止まらないようにするのが代書の腕の見せ所です。この方の農家台帳を見ますと平成13年に農業者年金を貰っており、何もなく順調に来ており、あの時農業者年金に加入して大正解だったと思います。

 農地の贈与の許可が下りましたので、移転登記のために来てもらった時にもう一度聞きました。その先生は農業者年金などは「やめときなやめときな」と言われたぐらいで、それ以外に止めておく詳しい理由などは言わなかったと言いました。私はそれを聞いて思いました。たぶん、その先生は仕事が多く忙しくて、突然、依頼者が持ってきた農業者年金の書類を作る時間がなかったんだと思いました。それ以外考えられないです。持てる先生の贅沢な話です。又、この人は中山町民ではなかったので私の所へ発想の転換をして来られたのだと思います。


 昔、農業者年金でこんな事件がありました。時は昭和50年代の後半だと思います。依頼者はやはり小塩津町の方です。誕生日が近くなったらお知らせ下さいと言う話をしていましたところ、60才の誕生日の前の月になりました。ぎりぎりになったのでこちらから電話をしましたが、一向に電話に出ませんでした。それで夜、雨の降る晩に本人宅へ行きました。本人宅は真っ暗で誰もいませんでした。それで近くの方に聞きましたところ、倒れて病院に運ばれたと言うことでした。当時は3条の申請書類に2人の認印を押して出せばよく簡単でした。しかし迷いました。結局出さずにいましたところ、この方はすぐに亡くなってしまいました。こんなことは珍しく初めてでした。この時は申請書類は一切作りませんでした。


13年03月24日 19時12分09秒
Posted by: kawasaki
  持分放棄登記は全員の権利書が無いと保証はがきで申請します。そのために保証はがきの枚数は930枚になりました。これは当時、愛知県の法務局の半年分の枚数だと所長さんに言われました。まず1件だけ持分放棄登記を出しました。私も本人宅にはがきが届いた頃を見定めて、はがきを集めに行きました。1人の人だけが、はがきは見たが、どこへ置いたか全く分からなくなってしまいました。こんな時は、保証通知期間の期間満了まで待って取り下げですが、私も所長さんにもう1回その人だけのはがきを出してもらうように頼んだところ、登記所の判断で、これは特別だから、特別だからと言われて、引き受けて頂きました。早速同じはがきを作成し、切手をこちらで貼り差し出しました。無くした人は、はがきが届くと同時に、「あったあった」と言ってまるで無くしたはがきを見つけたように持ってきてくれました。本当は私が、再発行してもらったのに知らなかったみたいでした。この時、31枚全部はがきを集めた申請書を保証通知用のかごに入れず、申請書を机の上において帰りました。登記所はこの後、全部はがきがそろったのを調べずに、申請書をそのまま保証通知用のかごにまた入れてしまいました。登記完了があんまり遅いのでどうなったか見に行ったところ、当然、保証通知用のかごの中にまだ入っていましたので、そのためはがきの通知期間が切れてしまい、私も慌てました。すると登記所も、これは特別だからと言って、期間内のところに差し込んで頂きました。最初に試しに出した登記が一番最後に登記済みになり本当に冷汗をかきました。コンピータ化された今ならアウトかもしれません。昔だから良かったと思います。このような共有者の多い正に特別な登記は登記所の協力がなければ出来ません。尚、後から申請した残りの29件の持分放棄申請書は、登記所が保証はがきを封筒に31枚入れて共有者に郵送しており、こんなことなら、試しに1件出さずに、同時に全部まとめて出せば良かったです。



※ この時はすでに渥美出張所は田原出張所に合併されていました。当時も田原町に自宅がありましたが、朝、登記所に寄ったらその日は寄りません。また、寄らない日もあり、事務所より20キロ離れていることは結構不便です。今は事務所から豊橋支局まで40キロですよ。


※ 今進行中の共有地の仕事をしています。青年畑と同じような色々な苦労がありますので、又ブログに乗せたいと思います。

13年03月19日 00時30分25秒
Posted by: kawasaki
 青年畑の最後の登記である持分放棄登記料をこの時は2段階にしました。これだけ人数が多いと、前提登記のある人とない人では明らかに最後までの登記料が違う人が出来ます。相続登記も無い、住所変更登記も無いこんな人は一番得な人です。父親が亡くなって、相続登記で65、000円相続登記代を払う人もいれば、住所や、氏名等が間違って登記がしてあるために、住所変更登記や、氏名変更登記で42筆の申請書を作れば、変更登記申請書(7,400円)と加算筆数代(41,000円)と印紙代(42,000円)の合計90,400円を支払う人と比べると、何も最後の持分放棄登記の前提となる登記がない人は明らかに得です。やはり登記料を2段階にすべきだと思いました。それで※万円と※万円とに分けました。これは絶対正しいです。これで少しは不公平?はなくなりました。
  

※この金額は、はっきりと書けません。私の考えがありますし、同業者の方の考えもあるでしょうが、私としては、色々考えた金額です。 尚、差額は3万円です。


 本当に、登記料にも関係しますが、中山町民が見方になればいいですがね。中山町で味方になる人は昔、商工信用組合にいた渡会さんぐらいだけですよ。渡会さんも東北大震災の時は寄付してましたからね、本当にいい人です。又、すぐ隣町の小中山町民では川口※重さんがいます。この人は強いですよ。小中山町民の方が「登記にはどこの先生がいいですか?」と聞けば全部私の所へ行けと言ってくれますからね。小中山町民は安心してみんな来てくれます。来ないのは中山町民ぐらいだけですよ。早く目覚めて下さい。
 ついでに書きますが、旧渥美町土地改良区を退職した人も現役の人も含めて4人(全部女性)知っていますが、この2,3年で3人の方より相続を依頼されました。又、農地転用(現況証明書)は2人(現役)の方より依頼されました。私の細かい仕事ぶりを知っている人は私の処へ来てくれます。この様な話まで載せるのも必要です。他の先生ではこんな口コミの苦労は無いと思いますがね。


中山町民の方はこれを読んで下さい。
月別 アーカイブ 2011 年 11月
不動産詐欺事件 その3 新人司法書士はこれを読んで肝に銘ぜよ No21
 これは中山町で起った詐欺事件です。これを読んだら他の先生へは行けないと思います。この事件を知ってる中山町の方はわたしの事務所に来ます。農協の抹消登記もその方は私を指名します。     
13年03月15日 17時40分46秒
Posted by: kawasaki
 青年畑を単独名義にしたら、その土地を新しい買主に移転する話があり、売買登記をする話が決まりました。私の方で登記できるものだと思っていたら、やはり他の先生ですることになりました。その先生は単独名義にはならない様に登記をしていた人であり、どこまで口コミで良い先生の噂話を信用しているのか、情けなくなってきます。私を怒らせるのが好きな人たちです。誰のおかげで単独登記になったのか、本当に分かっているのか、全く失礼この上ない話です。この人たちはこんな難しい仕事をしても、ありがたいとか、お礼をしたいとか、ご苦労さんだとか、全く思わないのかね。だいたい青年畑も含めて私有地全部の相続登記を戸籍を取る最初から依頼されたのは、せいぜい2件ぐらいだけだと思います。ただでさえ私に相続登記を持ってこないくせに、本当に腹が立ちました。この分だと、当然青年畑の登記が全部終了して、単独名義になった人が死んでも、その人の相続登記は私の所へは絶対に頼みに来ないでしょう。実際この後、私の所へ相続を頼みに来た人は誰一人もいませんでした。私は他の先生で相続登記をした登記済権利書を3件(この人たちは65000円戻ってきています)ほど見ています。全く私のところに登記を頼みに来ていません。口コミの恐ろしいところですよ中山町は。一度いい人だと言う噂が広がれば、皆そこへ行くことになり、ここは小さな島国のようなところです。だから私は持分放棄をして単独名義にした、最後の登記の登記料を上げざるをえませんでした。まだまだ、旧渥美町には共有地がたくさんあります。田原市役所の税務課の杉浦課長も共有地が多いことを知っており、私に、つい先日も、「川崎さん、共有地の単独名義の登記を進めてください」と言われました。共有者の誰に固定資産税の納付書を送ればいいか困るのです。とにかく取立てに困るのです。早く単独名義にして、固定資産税を簡単に請求したいのです。これから、地元の人は相続登記の時、単独所有地と共有地が有る人は、絶対に、私に登記を頼まないといけません。つまり、共有地を単独名義になった時、私に登記を頼まない人と、頼んだ人では、単独名義にした登記料が明らかに違います。高い人は他の先生で相続登記をした人、安い人は私の事務所で相続登記をした人となり、どこかの先生で相続登記をした人は、高くなります。その点は良く心得ておいて下さい。ストレスや、つらい仕事の代償が必要なのは、当たり前のことだと思います。このブログをよく読んで、本当に真剣にやってくれる人は誰か、地元にいる本物の司法書士を選んでください。お願いします。

※ 尚、勘違いしないように付け足しますが、今は司法書士の報酬はすべて自由化になっています。
※ 税務課の杉浦課長さんは前にも書きました。何度書いても渥美町の解決してない共有地は本当に深刻です。地元の人はもっと深刻に考えないといけないです。ボーとしてると、とんでもないことになりますよ。もう手遅れになると、結局私が苦労するだけですからね。ぜひ、私を選んで下さい。

13年03月13日 11時42分54秒
Posted by: kawasaki
 とにかく、持分放棄登記で単独名義にするには保証はがきが多くなり、持分を売買した人で最終取得者ではない人は、関係ない人であり、邪魔な人ですので、人数減らしをしておく必要があり、時期を見て持分の移転登記をしました。持分の売却者の中には高齢でなるべく早く移転登記をしておく必要のある人もいます。中には、相続人がヤクザの息子がいる方もあり、相続登記が難しい人もいると言われました。又、家族の方の要望もあり、寝たっきりの方もいましたので、わざわざ見に行きました。その方を見て、即、ここで持分移転登記をしておこうと判断しました。この時の判断は大成功でした。事件簿の日付けを見ると平成7年10月26日提出になっていました。5人の方の持分を移転しました。それから3ヶ月後、この持分を取得した方が心配しながら訪ねて来ました。「おい、川崎さん00さんが亡くなったけど相続出来るかどうか心配だ」と言いました。私も思わず相続登記が1件増えたと思いました。しかし、よく話を聞いてみましたら、持分がすでに移転されており、人数べらしの5人の中の人だと分かり、Wさんに「その方はすでにWさんに持分を移転されていますから、もう亡くなっても関係ないですよ。それと、Wさんが今まで買った方の分はもう全部移転しましたから安心して下さい」と話しをして、安心させてあげました。Wさんもこの事を聞いて安心して帰りました。持分移転登記にはお金が掛かりましたが、1件相続登記をすればもっと掛かりますので、人数減らしは大成功でした。結局最終人数は32人になりました。尚、32人の内の2人の方は持分の権利は無い人で、最後の持分放棄登記をするときに他の共有者に移転登記をすればよく、単独名義人にする必要の無い方です。


 実を言いますと、人数減らしの中の一人は私が相続登記をした人がおり、又、相続も簡単に相続登記ができました。その方は私の住んでいる田原町の人であり、なんの難しい話など無い方だと思っていました。田原市内の公衆電話から印鑑証明書を取ってもらう話をしていたところ、私が少し早口で話したのが気に入らなかったのか、途中で切られてしまいました。私もこの時は焦りました。少し早口で電話代10円で話をつけようと思ったのが間違いでした。ゆっくりと話ができるように、事務所か自宅の電話を使うべきだったと思います。相手を尊重し印鑑証明書代2百円もこちらで払いますなども言って話をしなければいけなかったと、反省しました。結局この方の渥美町の実家の戸籍や住民票などを取りまして、有力な親戚の方に力を借りることにしました。そしてWさんやら私も入れて、たぶん4人ぐらいで一緒に付いていってもらい、実家のおばあさんに何とか地元の人の多くの人が絡んだ大事な土地の登記だから、印鑑証明書を取ってもらうように話をして、電話してもらい、なんとか印鑑証明書を取ることが出来ました。勿論、この人の42筆相続の権利書は私が持っていましたので、すぐに5人(中には保証はがきの方もいます)からの持分移転登記をしました。やはり、共有地とは関係ない相手の方は、2段も3段も上にいる人だとの思いで話さないといけないと、つくづく思いました。又、即行動したおかげで大事にいたらず解決して良かったです。
13年03月10日 01時34分26秒
Posted by: kawasaki
この方は何処かの先生の親戚だと言いました。親戚の先生でも42筆の内の一筆だけしか相続しなかったのか、徹底してるなと思わず思いました。それで残りの41筆を相続しなければだめですよと言いましたところ、「俺は、先生の親戚だから金は払わんぞ」と言うのです。私もここで私が怒ったり、相手を怒らせては相続登記や、持分放棄をしての単独登記が出来ませんので、私も満面の笑みを浮かべて、へこへこしながら、手は揉み手をしながら、笑顔いっぱいで、「あの素晴らしい先生の親戚ですか?分かりました。あの先生の親戚ならばもらえないですよ。それでは、あなただけは、特別に無料で仕事をさせていただきます。このことは他の人には絶対秘密ですよ。」と、言いました。私のへこへこして、揉み手までしている姿を見て、この人は、私に何を言っても通ると思ったのでしょう。「単独名義にする時の費用も払わんぞ」と、続けて言いました。勿論私も満面の笑みを浮かべて「分かりました貴方だけは特別に無料でやらせて頂きます」と言いました。相続登記の書類を手に入れ早速相続登記をさせて頂きました。後から他の人から聞いた話ではこの方は金の無い人ではないと言うことでした。
この話をしたところ、共有者の中には「この人の費用は私が払うよ」と言う方がいましたが、私も司法書士のベテランですので、又、何とか本人に払ってもらうつもりでいましたから、そのお言葉をありがたく、お言葉だけ頂戴しました。

その後、最終的な単独名義にする時も、ニコニコしてこの方の時は印鑑証明書を渥美町(当時)役場から取ってもらい、ニコニコして、最後の持分放棄登記申請用委任状に実印をはっきりと押してもらい、持分放棄登記申請の時は、全員の権利書が無いので、(一部権利書があっても権利書が使えなかったものですから)ニコニコして、保証はがきに実印をはっきりと押してもらいました。
そして最後の時が来ました。この男以外の登記申請をすべて完了し、保証はがきを10枚だけ持って、この男の自宅に乗り込みました。
「いいか、ここに10枚だけ保証はがきがある。残りのはがきは事務所に隠してある。他の人の登記はすべて終ったが、あんたの登記はこのはがきを出さない限り登記は出来ないぞ。確かに相続登記は済んでおり、このまま単独名義の登記が必要ないなら相続登記の費用の65000円は踏み倒すことが出来るが、単独名義の登記はこのままだと出来ないぞ。もし単独名義の登記をあんたの親戚の先生でやるならば、これから全員の印鑑証明も取らねばならないし、中には私の味方になって出さない人もいるかもしれない。金を払いたくないなら登記はできないぞ、それでもいいのか」と強く早口で言ったところ、この話を奥で聞いていた息子さんが飛び出してきて、父親に向かって怒りながら言いました。「おやじ金を払ってやれ」
「ありがとうございます」私も思わず大きな声で言いました。
この親父にこんないい息子がいるとは思わなかった。息子さんもこの話はきっと、初耳だったと思います。こんないい息子を持ってこの親父は幸せ者だ。
次の日に、相続と今回の報酬を全部頂きました。勿論、登記済権利書を一番最初に持って行ったのは、ここの家です。

じつを言いますと、もしこの人が「そんな土地はいらないから登記などしなくてもいいわ」と言われたらどうしようかと思いました。私も人のいい男で、ボランティア精神の強い男で、人が喜ぶことが大好きな男ですので、色々悩みましたが、どうしてもお金を払わないのならやっぱりただで登記をするのかなと思いました。こんな小さな土地(191㎡)を1筆だけ残してもしょうがないからね。でも、お金を払ってくれて本当によかったです。

こんな共有地を1筆だけ残せば税務課の杉浦課長に怒られますよ。杉浦課長の口癖は「川崎さん、共有地の単独名義への登記を早くやって下さいお願いします」ですからね。つい先日にも言われました。今の時期になると固定資産税の請求先が困りますからね。でも、渥美町にはまだまだたくさんの共有地があります。あの親戚の先生が何もしなかったからです。共有者42人のうち、私が相続する人はせいぜい2人ぐらいですよ、残りの40人は可哀想ですが、あの親戚のさぶちゃん先生がするのです。これでは単独名義にするなどはできません。全員を敵に廻して登記をするなど無茶苦茶です。本当の先生はここにいるのに、口コミはああ恐ろしい、恐ろしい。
13年03月07日 11時42分51秒
Posted by: kawasaki
 この話は平成5年から平成7年の3年間を費やして相続を完了し、その持分を地元の方に移転登記をした話です。持分を売却した方は既に亡くなっており、その相続人に話をしなければならない仕事です。長男であるSさんは、相続人のなかでは一番近くに住んでいましたので、とりあえず、電話しましたところ、明るくていい人だなと思いちょうど仕事で近くに行ったので寄ることにしました。その人は一人暮らしで、離婚したばっかりでした。仕事人間だったかもしれません。行くと、小さな一軒家で、声をかけると,右手に箸を持って出てきました。ラーメンを作っているところだと言いました。こんな姿を見せたくなかったのでしょう。「こんな所まで来なくてもいい」と言って追い出されました。迂闊に行ってしまったと思い後悔しましたが、とき既におそしで,その後は、なかなか良い返事を貰うことができませんでした。この方には兄弟姉妹がおり、一番年上で長男でした。その為この方を落とせば登記が出来ると思ったのです。しかし、話がこじれて、話が前に進まず、にっちもさっちも行かず、本当に困ってしまいました。弟さんの電話番号を調べて、弟さんとは、2,3回電話したことも有ります。弟さんは、自分だけでも証明書に印鑑を押して、印鑑証明書を取ってきて郵送するから協力金を早く貰いたいと言う話もしたことがあります。弟さんは、とにかく協力的でした。ある時、弟さんに電話したところ、ついうっかりして、「兄さんも離婚したばっかりだから、ひねくれているのですよ」と言ってしまいました。そしたら弟さんが驚いて、「なんだ、兄貴は離婚していたのか、それで住所が変わっていたのだな」と言いましたので、私も離婚したのを知っていたと思っていましたので、あわてて弟さんに「このことは絶対お兄さんに言わないで下さいね」と、何度も何度も念を押して、電話を切りました。私はすぐにSさんに電話しました。「渥美の代書の川崎ですが、どうですかね、あんまり登記を遅らして、こんなことしていると、離婚がばれちゃいますよ」と、小さな声で、すまなさそうに言いましたところ、Sさんは声を張り上げ、「ばれてもいいわ」と、明らかに怒った声で、電話をガチャンと勢い良く切られました。Sさんには申し訳ないですが、私は笑いをこらえきれずに、手をたたいて笑いました。やっと、又一歩前進したと喜びました。でも、さすがにこの日から1年間は、電話出来ませんでした。そして1年間ちょうど経ちましたので、電話を取り、Sさんへ電話しました。「渥美の川崎代書ですが登記の方はどうでしょうかね」と言ったところ、Sさんは穏やかな声で、「あんたの言うとおりにするよ」と言いましたので、私も「ありがとうございます。弟さんや妹さんへの書類はどうしますかね」と、言ったところ、私に送ってくれと言いましたので、相続書類等を送りました。その後しばらくしたのち、Sさんと田原郵便局で会い相続書類を貰い、その場で現金書留を4人の方に送りました。そしてその後は、相続書類を使い、42筆の相続登記申請をして、相続登記完了後、この持分42分の1を買った人に持分移転登記をして、この件を終らせました。これは小さな難関の一つで、そして始まりに過ぎません。


題名では「こんなことしてたら秘密がばれちゃいますよ」となっていますが、本当は「こんなことしてたら離婚がばれちゃいますよ」が正しいです。題名の中に離婚と書くと答えが出てしまいますので、秘密と書きました。


事件簿を見ると、平成7年6月に相続登記を完了していました。
13年03月03日 19時03分04秒
Posted by: kawasaki
今のように登記識別情報の時代では、順位番号の記載がありませんので、相続登記の場合などは、例えば、ある先生が相続人の所有地だけを1筆だけ相続すると、どの筆が相続登記をされたかが分かりません。全部の筆数の登記情報をとる必要があり、42筆、いちいち調べる必要があり、このような筆数の多い共有地の登記は大変な手間や暇が掛かります。当時は42筆相続登記をすれば、一筆ずつに順位番号が記載されており、1筆だけ順位番号が違えばそこだけ相続したことが分かり、残りの土地41筆を相続すればよく、非常に簡単に見つけることが出来、助かりました。登記済証の順位番号は共有地などを死んだ土地にしない、生きた価値のある土地であるところの、単独名義の土地にしようとする司法書士にとっては、正に正義の味方です。こうして登記済証に順位番号の記載があった時代だった為に青年畑42筆、合計面積7962㎡を単独名義の生きた土地に全部登記できたのだと思います。
13年03月03日 19時02分40秒
Posted by: kawasaki
「あんたの土地はこれか、それならこの土地だけを相続すればいいですよ。その方が登記料も安いし、青年畑は共有地で難しいから、絶対単独名義にはならないから。」と言われたのでしょうか?とにかく相続人が本来もらうべき単独名義になる土地1筆だけを相続して、残り41筆は相続登記をしないで、相続登記を打ち切ってしまったのでしょう。お客さんである依頼人(相続人)にとっては、費用も使わずに相続登記を終わらせて、親切な先生だと思った事でしょう。いい先生に頼んだと思っているところへ、私が訪ねて行き、全部相続しないと単独名義にならないから、残りの41筆を相続させて下さいと頼みます。これではまるで、押し売りに来た人みたいで、嫌われに行くようなものです。それもまた夜になって行くんです。電話では話が出来ませんからね。いやな役ばかりが回ってきます。ついでに、必ず登記料も話をし、それで登記料は65,000円ですよと言うと、なんでそんなに高いのだと言われます。それを又説明して、やっと、納得させて、10円のコピー代をケチったために表紙に相続図のない相続書類(※)を貰ってきます。こんな相続登記が当時は何件あったかを事件簿から調べてみますと、平成5年の10月から11月にかけて10件程相続登記をしています。この持分の相続登記は本当に我が事務所にとっては収入になり、どこかのあきらめた先生のおかげで、普通では絶対ありえない臨時ボーナスの様な物で、きつい仕事の中でやっとオアシスにたどり着いた、ホットした安堵の喜びの様な気持ちに包まれました。私もお金が必要な時代がありましたので、このお金は大変助かりました。でも、本当は共有地だけでなく最初から単独名義の相続も全部させて頂ければ言うことなしですがね。中山町民は私のでたらめなデマばっかりを信じて、田原や豊橋などの遠い先生ばかり目がいって、すぐ近くにいる本物の司法書士の隠れた実体を知らない、かわいそうな町民です。早く目覚めてほしいです。


 夜、相続書類をもらいに行った時には、青年畑の共有者の一人である中山町在住の渡会登汐さんにも、同行をお願いしたこともあります。


(※) まだ、読んでいない方は、こちらも読んでください
    私のこのブログの月別アーカイブ  2011年9月
      「コピー代10円ケチる先生の相続人に与える損害額」  No11
13年03月01日 00時40分55秒
Posted by: kawasaki
青年畑と呼ばれていた農地は、耕地整理の換地により大きな1筆の土地が42筆、42人の共有地になった農地のことです。このためこの相続人の一人が相続するたびに、基本料金+増加筆数加算及び、相続図等々の費用の合計が65,000円掛かるのです。これを題名にしました。この青年畑の換地後の合計面積は、7962㎡、1筆の一番大きな面積は236㎡、一番小さな面積は、170㎡です。耕地整理に入る時に、共有者が耕作している土地を1筆ずつ測量したと思います。大変な作業だったと思います。この土地を単独名義にするために、悪戦苦闘しました。平成5年から9年5月までの登記の物語です。
この題名は共有登記を持分放棄をして、最後の単独名義にする登記完了後、登記料を払ってもらう時に、最後まで払いが遅かった一人の登記完了者の人に、登記料を気持ちよく払ってもらうことを促すために投げ掛けた言葉です。これからは、単独名義になった1筆だけ相続すればよく、42筆相続する必要がなくなったから、貴方のお父さんが亡くなったら他の単独名義の土地と一緒にこの単独名義になった青年畑を加えるだけでよいから、42筆の相続登記は必要ではないですよ、だから、65000円戻ってくるのですよ。と言ったのです。それを聞いた登記済権利者は「そうゆうことか」と言って納得して払って貰う事ができたのです。でも少しは登記料を勉強しましたので、お父さんが亡くなったら私のところで相続登記をして頂きたいものです。しかし渥美郡渥美町(現田原市)の中山町地区の人々は口コミを信じる人が多く、私の所へ来る方は、今では10人に一人ぐらいしかいませんので、なかなか来てくれず、無理かも知れません。このような私の味方にもならない人たちの為に、又、当時の渥美町の役場の税務課の為に、私は命がけで?、単独名義にすべく戦い抜いたつもりです。勿論、私の味方になる人もいます。その人たちは他の人の持分を買ったりして、所有面積が多い人たちです、一番面積の多い人は1238㎡(7筆)です。次に多い人は588㎡(3筆)です。このような人はどうしても単独名義にしたいと思っていますので、当然、私も、時にはその人たちの力を借りなければ、出来ませんでした。力を合わせて最後まで登記を完了させましたが、私の苦労を知っていたのは、ほんの2,3人だったと思います。
«Prev1Next»