2012年 3月の記事一覧
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Sさんは田原市(渥美町ではない)の地元の出身ですので、朝の10時頃、わざわざ挨拶に来てくれました。今後の予定はまだ決めていないそうです。バブルの頃、私もお金が必要な時がありました。その時はどんな難しい登記でも喰らい付いて仕事をしました。超、すき間産業的な仕事で、普通の司法書士の方なら絶対そんな登記などは手を出さないと思います。でも、私はお金がどうしても必要だったのです。だから、どんなに疲れていても、事務所の中で寝ていることはできませんでした。机に、はいずりあがり、仕事を進めなくてはいけませんでした。そうしないと明日、提出する仕事がないのです。だから毎日休みなく、仕事を進めておかなくてはなりませんでした。その一歩一歩の積み重ねが次の日の提出書類となっていくのでした。それを持って法務局(田原出張所)に行くのです。毎日、毎日普通ではありえない書類を持って行きました。だからそのことをよく知ってて、それを受け取り調査するのがS職員でした。ある時、持って行くと、「なんだ今日も出すのか」とたまげた声を出して言われました。そりゃびっくりすると思います。こんな登記書類は必ず途切れますよ、しかし、お金がどうしても必要でしたので、がんばれるのです。代打のバッターが代打で毎日ホームランを打っているようなものですから、本当にすごい仕事をしていたのです。S職員はこのことを一番近くの司法書士さんに話しました。その司法書士さんは私に「あんたのうわさは聞いている」と言いました。S職員は他の司法書士にも川崎さんはいい仕事をすると言ってくれました。本当に当時はお金が必要でした。そして、そのお金は近くの自転車屋さんに渡りました。?
とゆうことで、きっとすごかった当時の私のことが気になって訪ねてきたんだと思います。
作成及び投稿年月日 平成24年3月22日(木)
とゆうことで、きっとすごかった当時の私のことが気になって訪ねてきたんだと思います。
作成及び投稿年月日 平成24年3月22日(木)
よくもまあ3年以上も古い法務省の申請ソフトを使わされたものだ。本当に特に困ったのは識別情報の作成だった。これも愛知県の先生が打ち込みの過程の順序をプリント出来るようにしてくれましたので、印刷しました。順序枚数は42枚です。識別情報の打ち込みには必ずこの42枚の順序を見ながら打ち込みました。いつもお祈りをささげてから打ち込みました。私の奇跡のパソコンでは、1筆終るまで20分ぐらいかかったと思います。又,うまく出来たのかまったくわからないけどそのまま申請書に添付した。本当にひどい作成ソフトでした。ま、タダのソフトだから仕方がないか。民間のソフトを使用している方はどうだったのでしょうか?今の登記供託オンライン申請になったとたん、1画面だけで何筆も打込みが簡単に出来本当に便利になりました。一体今までの作成ソフトはなんだったのでしょうか?これからはいいものはもっと早くやってください。お願いします。
確か、最初にオンラインで申請した日の1件目か2件目の売買登記の時だと思います。キャノンスキャナーでB4の大きさの売渡証書を画面の操作で半分ずつのB5の画面を作り画面で合成してB4の大きさにしてPDFにしてオンライン申請して送信しました。私としては、法務局ではどんな大きさでもプリントアウトできるものだと思っていましたから、深く考えずに送信したわけです。当時豊橋支局のオンライン申請の係りの方はKさんでした。私もKさんもオンラインに関しては新米さんですのでお互いに情報の交換などをして仕事を進めてきました。しかしKさんだってプライドがありますから、まさかPDFがプリントできないなどとは簡単には言い出しませんでした。きっとありとあらゆることをしたと思います。申し訳ありませんでした。結局私に聞いてきました。「川崎さん、どうしても1枚PDFがプリントできないだけど、どうしてだろうね」もちろん私も思い当たる節がありましたので、Kさんに言いました。「もしかして画面で合成してB4で送信してるからA4ではプリント出来ないかも知れないです。」「ああそうか、そうだったのか」Kさんも何回も自分に言い聞かせるように納得して言っていました。これ以後2度と合成画面は送信しませんでした。又、画面で合成するのはめんどくさいです。コピーでA3はA4にB4はA4に縮小すれば簡単です。そして、その縮小したコピー用紙も原本還付用に使用できますから合理的です。その後しばらくしてから、Kさんが「たまにPDFがなかなかプリントアウトできないのがあるんだけれど?」と言われました。もちろん、思い当たる節がありますので、「PDF作成ソフトにもスキャナーがあり、それを使ったからだと思います。」と話しました。それも2度と使わないように封印しました。その後はKさんとはオンラインの情報交換をよくさせていただきました。豊橋支局で法務局と司法書士との連絡会があった時その席でKさんが、「今までプリントアウト出来なかったPDFはなかった」と言われた時、私だけがその言葉の意味である苦労を知っていたと思います。
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