2011年 7月の記事一覧
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渥美半島にまだ登記所が2ヶ所あった時代の話です。渥美半島の先っぽ地区の人たちが私の事務所にどやどやと10人ぐらい入って来ました。もちろん中には見た人もいます。隣の先生が出来ないとゆうことで私の事務所に来ました。ほうーと思いながら、つい、私ならどんな登記でも出来ますよと言ってしまいました。話の中身はこうです。2、3年ほど前からこの話を進めていたみたいでした。時間をかけていたんですね。景色のよい所に老人ホームを建てたいとのことでした。伊良湖ビユーホテルに宿泊したり、老人ホームの設計図を描いたりしたりで、かなり金を使ったりしたそうです。そのため、もしも建設用地を売ってくれない場合は困るから先に抵当権を打たせて欲しいとのことです。私は300万ぐらい払って所有権の仮登記でも打っておけばいいではないですか?といいました。すると男はそれではだめだと言いました。私が、それでは300万ぐらいの抵当権を打つんですか?と聞きました。すると男は、300万ぐらいじゃだめだ2000万ぐらい打たなきゃと言いました。私が少しびっくりして、あなたが抵当権者になるんですか?と聞きました。男はいや私は債務者になるんだと言いました。じゃあ、だれが抵当権者になるんですかと聞きました。すると男はこちらの人ですといいました。そこには黒いコートを着た二人の男が立っていました。私はその男たちを下から上へと、又上から下へと見ました。すぐに判りました。どう見ても金貸しにしか見えませんでした。なぜ隣の先生はこんな人たちを私の事務所によこしたんだ。自分でおかしいと思ったらはっきり言えばいいではないかと怒れた。私はこんな登記はできないと言いました。すると黒いコートの男は先生はせっかく話しがまとまってきた、土地売買の話をぶち壊すんですか?責任問題ですよと言いました。事務所の中に緊張が走りました。そこで私もこんな怖い話の登記はできないとはっきり言いました。そこで地元の人たちも気がついたのか一人の人があわてて人を呼びに出て行きました。その中の顔見知りのOさんが川崎さんが全部言ってくれたといいました。このOさんもすでに亡くなりましたが、息子さんは私の事務所で相続はしませんでした。お隣りでしたみたいです。Oさんもあの世で相続登記を川崎でして欲しかったと思いますよ本当に。いくらこんなことがあってもまったく利益につながりません。このときもボランティアで終りました。みなさん抵当権詐欺に注意しましよう。
昨日は暑かったね。私の住んでる町内会も朝から草刈と粗大ゴミの収集日でした。毎月第2日曜日が掃除の日です。私も評議員として朝からお手伝いです(ちなみに田原区の代議員もやらされています。この前総会で紅白のお饅頭とお寿司をもらいました。田原区ってすごいお金持ちなんですね。会計報告でビツクリ、使い込みを心配しました。月曜日の朝の総会でしたので、すぐ帰ろうとしたら、後ろから抱き着いてきた人がいたので同じ町内の人かとおもったらびっくり同級生の判君でした。さすがこの男、渡辺崋山先生の田原藩の元士族の出だけあって代議員を任されていたとすぐに納得。)。6人の評議員もトヨタの仕事で4人になりました。会計さんも1人いないから計3人がトヨタ勤務でいない。7時半から草刈機を19台用意して混合ガソリンを入れエンジンをかけて用意するのが、まず第一の役目です。私はすぐ集会所周辺の草刈を始めました。先月自分の組をしてたら公園の草が残ってしまい。迷惑をかけたからです。一通り終えたら今度は草集めです。トラック2台を出して集めました。その前にあんまり熱いので鉄管ビールを飲んで体を冷やしました。え、鉄管ビールってなんだって?水道水ですよ。もうその時はすでに暑さでふらふら危ない危ない、とにかく水水水です。すぐそばに自販機があるのも忘れていました。とにかく私のトラックは2回赤羽根の草木の集積所(7キロある)へ行きました。草をトラックに載せ、ふんずけて圧縮し最後はシートをかぶせて出発です。1回目はまだ楽でした。問題は2回目です。1回目から帰ってくる途中から道路の脇にある草を積みます。他の1台は集積所へ行ってからは粗大ゴミの回収にまわっていますので、草集めは私たちの車だけになりました。もう熱いこと、熱いこと、今までこんなにへとへとになったことはない程きつかった。トヨタ土日勤務がこんなに影響があるとは思わなかった。私などはトヨタマンの分まで働らいたことになる。1人でのトラックの荷台での草ふみ、2人の評議員が積む役トラックの上は本当に暑かった。集積所から帰って来たあとは少し残った粗大ゴミを積んで谷熊へ行きました。その時は11時35分頃でした。集会所にもどったのが12時、やっとお寿司とビールが出て終りました。集会所のテレビをつけたらなでしこがドイツに勝ったのを見ました。4強入り、男より強いじゃん。感心感心、少し疲れがふっとびました。でも2、3日後に疲れがどっと出そうで心配です。
まだ私の事務所が旧役場の近くにあった頃(平成8年以前)の話です。私が相続登記をした権利書をもった女性が訪れました。その方は豊橋に住んでいました。元屋敷に親戚が住んでいるがそこを売りたいから先生私と一緒に買主に会って下さいとのこと。宅地が150坪で300万ぐらいでした。すでに値段の交渉は終っていました。少し安いが親戚だからと思いました。買主の父親のところへ会いに行きました。女性はバスで来ましたので私が車に乗せて事務所より田原方面へ向かいました。その時点で女性の能力を見抜きました。私を頼って正解だと思いました。買主の父親に会い話しをしました。私の所で登記はしないとのことでした。やっぱりと思いましたが、私はその男の話がいい加減で納得出来ませんでしたので、かなり強い言葉で言いました。いいか全額持って来いよ、100万だけじゃだめだぞ、とはっきりと確認をして帰りました。売買の日、同業者の先生のところへ行きました。息子の嫁と父親が先におりました。司法書士が売主、買主に分かれての豪華な立会いです。私が全額持ってきたかと尋ねました。すると100万だけだと言いました。100万だけでは登記はできないとこの前言っただろう。と私が怒って言いました。内心こっちはお前のためにボランティアできてるんだぞといいたかった。息子の嫁にも残金を持ってきて下さいすぐに登記ができますからと言いましたが、下を向いたまま黙っていました。女性は登記をすれば残りは必ず貰えるからと言いました。余程お金が必要なんだと思った。私は司法書士が二人もいてこんな登記をすれば裁判になるぞと、同業者の先生に強く言いました。するとその先生は、私は裁判になっても一切責任は取らないし、裁判に出て証言もしない、とはっきり言いました。本当にこの男は司法書士とはとてもおもえぬ無責任な男だ。女性は100万もって帰りたいと言いましたが、私は無理やり連れ出し帰ってきました。司法書士が二人もいて立会いして裁判になればしゃれにもならない。二日後その土地の隣地の方から電話があり、私が50坪を坪10万で買ってもらうように話をつけました。すぐに調査士の弟が測量に行きました。するとその話を聞いた父親が近くの男と二人で私の事務所にやってきました。即、全額払って買いたいとのこと、勿論私は大声で、遅い 遅い 遅い 遅いわ と、怒鳴ってしまいました。その時、残った土地100坪を300万で買えと言いました。それなら買うのをやめると言いましたが、2,3ヶ月後に息子夫婦がどうしても買いたいと言って来ました。息子さんのお嫁さんにあの時全額もってこればよかったのにね、と言ました。話を聞くと100万ですます予定だったと言いました。この登記がすんなり行っていれば私は絶対ボランティアでした。一円も入らなかったと思います。この同業者の先生は私にとっては本当に貧乏神です。渥美町の方に言いますが代書の仕事で無報酬の仕事は結構あります。全部お金になるのはバイトで仕事をするコンビニの店員さんだけですよ。
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