2019年 3月の記事一覧
3月29日の午後4時58分に申請しました。平成最後のオンライン申請になりますかね。別にねらったわけではないですけどね。価格通知書を新しく取るのが面倒な共有地の筆数でしたので、迷いましたが出すことにしました。それで迷いながら出しましたので、5時近くになった次第です。この共有地は旧渥美町にある一番厄介な共有地です。エベレストを10回登るくらい単独にするのが難しい共有農地です。多分私が生存している間に出来るかどうか分からない共有地です。この共有地に関しては先が全く見えないですね。このような土地は私のような考えがしっかりした先生にすべてを託さなければ絶対だめですよ。でも私は悪徳司法書士ですからね、相続に来ないでは無理ですよ。本当にここはなかなか難しい渥美町ですよ。ある相続人の所に行ったら、相続に使う印鑑証明書なのに、一人の方の分が集まらず、印鑑証明書の期間が3か月と知っていたから、相続書類を捨てたと言われ、がっかりですよ。この人の共有所有面積は1200平方メートルあるんですからね、青年畑の平均200平方メートルとは大きさが違いますよ。書類はたったの1センチぐらい厚さですからね、捨てずに保管しろよと言いたいですよ。最初に訪ねて行ったのがこの有様ですからね。先が全く見えませんよ。私も仕事がない先生ですからね、暇なときに調べるんですが、ばかばかしくなりますよ。感謝もされないし、逆に悪口を言われながらもなんとかしようと思いながらこの仕事を陰ながら単独名義にしようとする、本当に私は素晴らしい先生ですよね。しかし笛吹けど踊らずですか。私に徳が無いのはやっぱりあの廃業した先生のせいですよ。とか言いながら何とかこの共有地を報酬につなげたいですよ。しかし20年遅いですよ。私が入るのが遅すぎました。
平成はまだ1か月先でした。ほんと調べもせずにすいません。
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神戸市の相続人へ私が直接相続書類を送りました。すぐにこの方から電話がありました。前の時の書類と違うとのことでした。もう一人の豊橋市の相続人の方の書類は分割協議書で作成されていましたので、神戸市の方にも分割協議書にして送りました。しかし被相続人の妻が後でなくなっていますので、特別受益証明文も加えており、どこが前のと違うのか解りません。とにかく一枚で作成しました。実を言いますと、豊橋市の分割協議書は一筆しか相続物件が記載されており、へまをした先生は自分では何も調べなかったのでしょうかね。ひどい仕事をしていますね。平成17年当時はまだ登記簿が見れる時代でしたので、隣地等の物件をめくれば他の共有物件が見られたのではないでしょうかね。この先生は怖い仕事をしますね。勿論、豊橋の協議書に「上記不動産以外に相続物件が出てきた場合はこれもOOOOが相続する」と書き加えましたよ。神戸市の分割協議書には「田原市の不動産の全部をOOOOが相続する」と書きましたので、違うと言ったのかもしれませんね。この神戸市の代表者は昭和5年生まれですので、90近いですよ。まだまだ元気そうでよかったですよ。ところで今回の田原市の相続人の住所が耕地整理により、地番が全然変わっていまして、住所地の地番を正しくしてもらいました。本来なら昭和54年に変更しておく必要がありました。70番台が11?番になります。全然違う番地になります。面倒なことはしない人ですね。忙しいとへまばっかりですわ。でもこの先生渥美町民に絶大の人気があります。そして私はこの先生によって、たったの千円で悪徳司法書士になりました。こんなことなら、平成2年に絞め殺しておけばよかとです。しかし私も、調査士の弟も、調査士の渡会さんも、みんな優しい人ばかりでしたので、暴走を止められませんでした。あの調査士会の豊橋支部長のもんちっちも甘い男だったよね。あの平成2年が最大のチャンスだったのにね。今では簡単にクビになる時代ですから.私は真面目な道をこれからも歩むつもりです。
おーいこれ載せるのかよ。 あの先生だった人はまだ生きていますからね。 しかしまだまだ私のブログはつづきます。
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