2016年 10月の記事一覧

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16年10月27日 11時50分23秒
Posted by: kawasaki
 支局内に私書箱があると便利な事はただ一つ、受付で提出する申請用のコピー用紙の印刷がいらないとゆうことです。それだけです。私のように遠距離の先生にとっては、たまに登記所へ行きますので、オンライン登記用の特例の登記申請書類と、この土地謄本請求申請書を忘れないように注意してもって行かねばなりません。この1枚の土地謄本請求申請書の注意が意外と神経を使うのです。これからは豊橋支局内に私書箱ができたことにより、とにかく小さな面倒が一つ無くなるのです。もっと早く私書箱を作っておけばよかったのですが、そんなには仕事はありませんからね。要らなかったのです。しかし年を取るとなんでも簡単に無駄なくすんなりと合理的に仕事をしたくなります。今までは、支局の係のお姉さんとたわいのない話をしながらいただいてきたわけですが、これからは豊橋支局ヘ行って、こっそりと私書箱を開けて謄本を頂いてくるのです。でも寂しくなったら時々は窓口で謄本請求書で頂きたいと思います。


 謄本請求書を忘れても土地謄本は頂けます。しかし、司法書士の証明書を見せコピーを取られます。支局で見せた後、証明書が一時行方不明になりえらい目に会いました。

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16年10月21日 12時25分58秒
Posted by: kawasaki
 不動産業者さんより田原市保美町の宅地売買を頼まれました。売主は田原市に住む方ですが、住所変更登記が必要ですので、まず住民票を取りました。昭和50年に旧渥美郡渥美町大字保美から引っ越しをしています。田原町は、平成15年8月20日に赤羽根町と合併をしています。その時に新しい住民票が出来ました。渥美郡田原町から田原市OO町になりました。私も何度も言っていますが、新しい田原市の住民票には前住所が記載されていません。豊橋市の住所移転登記は豊橋市の住民票一枚で住所移転登記が完了です。しかし田原市では、この住民票1枚ではダメです。行政区画変更でその日付けの載った戸籍の附票が必要です。そして不在住不在籍の証明書を1通取ります。最後に3年間固定資産税を払ったことの記載された宅地の納税証明書を取ります。そしてダメ押しに私がその土地の所有者ですよと言えるための権利書をつけます。これでやっと住所変更登記が完了します。田原市役所の住民課は住民票1枚で住所移転登記が出来る事は考えなかったのかね。この住民票が出来たのは平成15年8月20日です。まだ渥美町は合併されていません。当時は合併が騒がれていた時代ですので、田原町の住民課の課長クラスが合併問題に関する研修会で住民票への記載に関する手抜き話を聞いてきたのでしょうね。そしてみごとに手抜きをやりました。後は野となれ山となれですか。もう少しいい仕事をして下さいよ。課長クラスの方々お願いします。

 渥美郡渥美町は平成17年10月1日に田原市に合併しました。当然渥美町も田原市の手抜き住民票の方式に従ったのはやむを得なかったかも知れません。当時住民課には平井さんがいたと思いますが、手抜き住民票に押し切られたと思います。私などは渥美の住所変更の時には平井さんによく助けられました。私たち司法書士にも一回ぐらい話があっても良いのではないですかね。注意深く仕事を進めてほしいですね。馬鹿まっしぐらでは困ります。


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16年10月14日 15時23分37秒
Posted by: kawasaki

 今度の天皇陛下は明治天皇です。オークションで明治天皇が描かれた掛け軸が出ていました。天皇を肉筆で描かれた掛け軸ですので珍しく、即買う事にしました。とりあえず510円で2番目で入札いたしました。画家は尾竹越堂です。箱書きも又凄い人が書いているのです。表の箱書きは東郷平八郎です。「 仰聖明  東郷平八郎謹書く 花押 」と書かれています。裏には「 頭山満 拝 」と書かれています。裏の方は全く知りませんでしたが、後でなんとなく調べたところ、この方も凄い人だと分かりました。立派な二重箱に入っていましたので、とてもきれいな新品に見れるほどの桐箱に書かれていました。大事にしていたのがすぐ分かりましたね。完全なコレクター向きの品物ですよ。これは絶対落とすぞと気合が入りましたね。そして今週の10月7日23時58分がオークション終了時間です。夜遅く設定されていました。この最終時間が近ずいてもそんなに値段は上がりませんでした。12,222円で後少し時間を残していました。私もこれで終了かと思っていました。あと2分ぐらいで終了ぐらいでしたからね。終了時間の画面を見ていましたところ、突然時間が変わって10分ぐらいに終了時間が伸びました。やれやれ誰かが参入してきましたよと思いました。頭文字がtですよ。ここから真夜中の死闘が始まりました。500円刻みで上がり続けました。夜中の1時を過ぎても上げてくるんですよ。私もついに頭に来まして「おまえは一体何者なのだ。いいかげんにしろ」とか、「おまえはバルチック艦隊の死んだ親戚の者か」だとか、「北方領土を返せこのロシア人め」とか言い続けました。「北方領土を早く返していれば、ロシアも中国以上に大発展してたのに、この馬鹿もんが」とか言いたい放題を言っていましたね。「もうすぐ1時30分になるぞ、眠たくはないのか、早く布団に入って寝ろ」とかね、もうどなりまくっていましたよ。私も途中でフェイントをかけたりしましたよ。時間ぎりぎりで入札したりしました。この頭文字tは入札数202回でベテランですよ。私はまだ16回ですからね、ちょぼいですよ。しかしこのtは一度も今回の入札で最初からは入ってきてないですね。初めて12,722円で入ってきてますよ。最後に入ろうと思っていたのかもしれませんね。そして12,222円からちょうど2万円アップの32,222円でやっと落ちました。tは20,000円アップの32,222円までがんばるつもりだったのかもしれません。tも欲しかったんだと思います。私もあとになって明治天皇の関係の他の出品物を見ましたら、結構な数が出ていました。しかしどれもいいかげんなものばかりで、この品物の様に二重箱で印刷なしの全部肉筆の掛け軸はないですね。箱書きも凄い人ばかりで、明治天皇物では今までで一番良いものではないかと思います。

 画家の尾竹越堂さんは、尾竹三兄弟の長男にあたる人です。実を言いますと私の亡父が尾竹越堂さんの弟の掛け軸を買って持っており、その関係で私も尾竹三兄弟を知っているのです。美術年鑑に三人の値段が載っている人ですからね驚きました。今回の絵は昭和5年の秋に描かれています。絵の中に「庚午之秋 芳克拝写」とありますので、間違いありません。この時は3人とも生存しています。翌年の12月に尾竹越堂さんが亡くなり、9年には東郷平八郎さんが亡くなり、昭和19年に頭山満さんが亡くなりました。この絵にはどんな経緯があったのでしょうか、知りたいですね。送られてきた掛け軸には何も入っていませんでした。

 

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