2015年 7月の記事一覧
天皇の料理番が面白くて毎週欠かさず見ています。勿論,天皇家の相続登記などの依頼などある訳がありません。だから題名のような天皇陛下からの仕事がある先生などは絶対にありません。しかしそこでアイデアマンの私は考えましたね。どこかで天皇陛下とのつながりがあるブログが書けないかと思いました。そしたらありましたよ。それもテレビと同時代に出てくる大正天皇とつながりがある話です。私も骨董品が好きで、色々な物を集めているのですが、最初は掛軸でした。絵を集めだしました。豊橋の競り市がありまして、骨董屋のおやじに誘われてついていき掛軸を買いました。数万円でしたが、後から調べるとニセモノでした。この掛軸は実は豊橋美術博物館で飾ってあるのを見たことがありまして、つい本物だと思い買いました。崋山先生の鑑定士である小沢さんの鑑定書もあり、本物だと思いましたが、アウトでした。桐箱の鑑定書きは本物でしたが、中身がすり替わっていました。豊橋の美術館がこの様なニセモノを飾るのがいけないのですよ。その後骨董屋のおやじが私の買いざまを見まして、この男は良いものなら買うなと睨んだのでしょう。あるすじから情報を調べ出して、掛軸をもっている方の住所を知ることが出来ました。あまり詳しくは話せませんことを御勘弁下さい。ここからはあまり詳しくは話せませんが、とにかく、そのすじから掛軸をもってくることが出来るようになりました。この掛軸の中に今回のブログになる掛軸があったのです。桐箱を開けると、箱の裏側に紙が貼り付けてありました。そこには次の様に墨で書かれています。
「大正天皇御遺物 元宮内大臣 男爵 中村碓次郎」 紙には碓次郎になっていますが、インターネットで調べましたら 中村雄次郎となって書かれています。どちらが正しいのか分かりませんが、とにかく当時は凄いものを手に入れたと思いました。でもあまり詳しくは書けません。詳しく書いて泥棒に入られたら困りますからね。以上が天皇陛下の司法書士の話です。凄いものを手に入れた司法書士の話でした。こんなブログは他の先生では絶対に書けないでしょう。しかし園遊会に出席した先生の中にはこの様なブログが書けるかもしれませんね。その先生には負けますけれどね。しかし、こんな凄い掛軸をもっている司法書士などは他には絶対いないはずです。私はこれを直に手に入れましたが、他の先生があるとすれば、きっと先祖から受け継いだ物ではないでしょうか。この様な物を持っている司法書士は本当は凄い事だと思います。渥美町の皆さん私は本当は凄い人なのですよ。だから、口コミでたたくのだけはやめて下さいね。
偶然インターネットで調べたところ 「 波多野敬直宮内大臣辞職顛末 1920年の皇族会議 」 に中村雄次郎が載っていました。これを書くために偶然ですがよいものにあたりました。 そこには中村雄次郎元関東都督(陸軍中将)となって書かれています。
絵は結構大きいですよ。それに古いです。中国絵画です。題名は花鳥です。作者名は中国では超有名な方です。作者名は伏せておきます。二重箱を作り大事に保管しています。ぜひ園遊会に呼んで下さい。これを持って行きます。え、入り口で爆弾騒ぎで捕まるからやめろって。今の天皇陛下は大正天皇のお孫さんですからね、話をすればきっとわかって頂けます。それまで待っています。
話は少し変わりますが、天皇の料理番の主役の佐藤健と私の声がそっくりだと言われた事があります。原曲キーで歌える男ですので、若い人の声に近いのだと思います。
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月曜日の朝、税務課に行ったところ、早速男性職員の方が二人こられまして、航空写真に区画線を入れたものを私に見せながら、この様な形で分割課税をしますとの事でした。税務課も忙しいですからね、私も本来は素直な男です。私もこうしろああしろとは言えませんよ。でも、しっかりと貸しだけは作らせて頂きました。こうゆうのが後々役に立つのです。とは言っても、私を自由にさせて下さるのはありがたいです。自由が一番。
その後、住所変更登記と、債務所の住所変更登記のために依頼人宅に委任状を貰いに再度行きました。その時の奥さんの話では、なんでこんなに固定資産税が高いのか分からなかったと言っていました。私はこれからはがくんと下がりますよと言いました。たぶん1500万の評価額が75万ぐらいになると思います。来年になったら確認のために評価額を調べたいと思います。この依頼人にやっと登記の神様が下りてきたと思いました。何度でも言いますが、私は登記の神様ではありません。
今回の追加設定の居宅ですが、預かった書類の中に設計図の入った建築確認がありました。登記の要約書からも分かりますが、昭和35年に新築しています。最初の新築面積は1階が131㎡、2階が46㎡です。その後52年と62年に増築していまして、現在の面積は1階228㎡、2階46㎡です。ここに住所移転した日は昭和35年ですよね。正しく住所移転の届け出をしていたならば、所有者の住所変更登記と、債務者の住所変更登記は不要でしたね。
もうひとつ不思議な事を話します。地目山林で、現況宅地のこの土地は、相続登記を昭和52年2月にしています。その相続登記後10日後に国土調査による成果として、地目が宅地から山林に変わっています。地積も2600㎡から2300mにどちらも錯誤で変更されています。たぶん本人の承諾を貰っていると思いますが、これで既存宅地ではなくなりましたね。プロならこの意味がわかると思います。少しもったいなかったですね。逆に登記地目宅地で、現況地目山林の方がよかったですね。宅地の方が価値があるのです。私はこう見えても既存宅地のプロですから、分かるのです。相続登記の権利書を見ると、課税は勿論宅地課税で、当時は300万の評価額が記載されています。逆に当時から住んでいる住宅を建ててあるところは相続登記時は地目も畑で有り、畑課税になっていました。ここまでは仕方がない事かも知れません。ところがここも、相続登記後10日後に国土調査による成果で畑が宅地に変更されました。この時からどちらの土地も宅地課税になって現在まで固定資産税を払い続けてきたのだと思います。しかし当時の赤羽根町役場の職員も実にいい加減だと思いますね。地目山林の2300㎡と地目宅地の1200㎡の土地からどちらからも宅地課税でがっぽり取るんですからね。今頃になって登記の神様が降臨されても、遅すぎますよ。
簡単な追加設定だけだったら、この様なブログは書けなかったかも知れません。ブログを書く先生にちょうどぶちあたり、色々な事が見つかり良かったですね。
この次の相続登記はぜひ私のところでお願いします。がんばります。
地元の渥美町民は私の処に来てくれませんので、この様なブログを書いて、他の先生をたたかざるを得ません。たぶんブログでこんな事を書く先生はいません。どうかどうか私の口コミは信用しないで下さい。その方は何も知らないおバカさんです。よろしくお願いします。
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田原町のドジな先生は私も昔から仲好くしている先生です。しかし渥美町民が田原に仕事を頼みに行きますので、この様なブログを書かざるを得ないのです。しっかりしろ渥美町民よ。行くところが違うぞ。 それではその2をお楽しみに。登記の神様ついに降臨か?
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